正解するカドの「正解」とは?「ユノクル」「進歩」の意味と共に考察

こんにちは。「正解するカド」担当のウロコです。

急激に暑くなりました。早急に今年の夏のUV対策会議を招集しなければなりません。

今年の重要課題は「如何にして日傘を持たずに紫外線を防ぐか」。日傘差してるとポケモンGOができないので、この問題は切実なのです。

さて、「正解するカド」です。

ここまで4話見てきたのですが、当初の予想通りスケールの大きな話で、1話ごとの考察だけでは情報を整理しきれなくなって参りました。

そこで今回は急遽スペースを頂戴し、ここまでのおさらいと今後の展望を兼ねて考察してみたいと思います。

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「ワム」が人類にもたらすもの

第3話でワムが登場した時、私はこの物体の持つ影響力を正直甘くみていました。

当初思ったのはこんな感じ。

電気などのエネルギーの発明により、人は便利さと快適さを手に入れたが、同時にエネルギーを確保するために多大な費用と労力が必要になった。

エネルギーの源・石油を巡って紛争が起きることもあり、人的にも経済的にも大きな損失となっている。

ワムによって、これら従来エネルギー確保のために割かれていた膨大な人的・経済的リソースを別の分野に回すことができれば、人の文明の進化は飛躍的に加速するのではないか。

しかし、第4話を見て考えを改めました。

ヤハクィザシュニナがもたらそうとしている進化は、そんな生易しいものではなかったのかもしれないと。

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「ユノクル」とは何か?ー新しい神話

ユノクルとは、という問いにヤハクィザシュニナはこう答えます。

「正確に意義を伝えられる言語がこの宇宙には存在しない」

こういった「翻訳できない言葉」は、新しい宗教が入ってきた時にしばしば現れます。概念自体が宗教と共にもたらされた新しいものだからです。

「そのもの」が元々なかったのだから、それを表す言葉もないわけです。

例えば「愛」という言葉。

古くは仏教用語として使われ、「(悟りを開くにあたって)障害となる執着」という意味合いの、どちらかというとネガティブな言葉でした。

戦国時代になってキリスト教が伝来したとき、「アガペー」に対する適切な訳語がなく、当初は「御大切」などの言葉が当てられていたそうです。

その後「愛」「アガペー」の訳語として使われるようになった結果、「愛」という言葉の意味が拡大していきました。

今では「アガペー」だけでなく様々な意味を含んだ、ポジティブな言葉として使われています。

「ユノクル」という言葉は、この宇宙にもたらされた新しい宗教の用語のようなものなのかも知れません。

自然環境と宗教ー日本で「ユノクル」が安定している理由

作家の陳舜臣は、著書である「日本人と中国人」で双方の宗教観の違いを気候風土の差異から考察しています。

  • 中国では、自然は人間の力で克服できるものだった。そこから人間至上主義、神様をあまり必要としない文化が発生した。
  • 一方日本では、自然はそもそも克服すべきものではなく、恵みを与えてくれるものだった。そこから自然崇拝をベースに神道が展開して行く。
  • キリスト教とイスラム教は、どちらも砂漠で生まれたと言われている。砂漠のような、人の力では克服できない過酷な自然環境の中では、絶対的な神にすがらなければ生きていけない、という考えが出発点になる。

自然環境の影響によって宗教が生まれるとするならば、ワムによって世界の環境が劇的に変わるということは、そこから派生する文化・宗教・思考が変化するということも考えられます。

ヤハクィザシュニナは、神話を語っているわけではありません。

しかし世界を変えることで、結果的に新しい神話を作ることになるのかも知れません。

ワムが日本にもたらされた理由ー分け合う文化

もともとエネルギー=石油を世界に輸出する立場である産油国にワムを与えれば、世界の混乱はもっと小さかったのかも知れません。

従来の石油をワムに差し替えるという、最小限の手間で済んだのかも。

しかし、ヤハクィザシュニナはそうはしなかった。

彼の目的を達成するためには、最初にワムを与えられるのは、「ユノクルの安定した場所」でなければならなかったのです。

大量の石油を産出する国は、多くが砂漠地帯です。

砂漠のような過酷な自然環境の元では、他人に食物を分け与えるような余裕はありません。

そしてキリスト教やイスラム教は、この砂漠の文化から生まれています。

だから現状の産油国はもちろん、キリスト教やイスラム教の影響の強い国々では、ユノクルが安定していないのかも知れないですね。

ユノクルを表す日本語

一方日本では、残念ながら石油はほとんど出て来ません。

しかし温暖な気候に恵まれたお陰で、他者に食べ物を分け与える文化が発達しました。

また、島国で密度の高いコミュニケーションが生まれた結果、「相手の気持ちを想像する」ことが容易になったことも「ユノクル」を安定させたのかも知れません。

ユノクルを表す的確な日本語はありませんが、その概念を端的に示すいい日本語をみつけました。

「食物の恨みは恐ろしい」

日本人なら幾度となく耳にしたことのある言葉です。

しかしよく考えるとこの言葉、「食べ物は分け合うものである」という前提の上に成り立っています。

「食べ物を独占すれば他人の恨みを買い、結果的に不利益を被る」という事を、私たちは常日頃から教え込まれているのです。

そして、主人公・真道幸路朗(シンドウ・コウジロウ)の考えもまた、このような文化背景のもとに育ったからだとも考えられます。

「相手を打ち負かしてその場の利益を得ても、長い目で見れば必ずしっぺ返しが来る」(第1話)

ワムを世界に分け与えたいザシュニナが日本を選んだのも必然だと言えるでしょう。

ヤハクィザシュニナによる世界の再定義

カドから最初に帰還した飛行機の乗客は、小さな男の子とその母親でした。

この親子、第1話で絵本を読んでいましたね。

絵本に登場する王様のマントがヤハクィザシュニナとそっくりで、ザシュニナがこの本をヒントに自分の服を「創造」したと推測できます。

この段階で、ザシュニナは本という媒体からこの世界の情報を手に入れることを学んだのか、カドの中で読書&真道に本の追加を要求。

人類の側がカドやワムの正体を必死に研究している一方で、ザシュニナの側も私たちの世界について研究しているようですね(その影響か、ザシュニナがどんどん人間っぽくなって来ているような)。

国家の暴走とは?

如何なる文化にも国家にも属さない、まっさらな状態からこの世界を観測するヤハクィザシュニナは、言い換えれば、この世界を最も客観的に解釈できる存在だと言えるでしょう。

そのザシュニナの口から、今回は「国家」について再定義が行われました。

『意思統一を目的とした組織』
『人間集団を守る知性に立脚したシェルター機構」
「社会の安定維持のための、高度に洗練されたコミニティ』
『だが、概念が定義を超えて力を持っている…暴走していると表現出来る』(第4話)

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道具だったものに支配される私たち

政治を意味する「まつりごと」は、元々は「祀りごと」つまり宗教的な祭祀を意味していました。

政治と宗教は、根本は同じ所から枝分かれしたものだと言われています。

そう考えれば、「国」とはもともと「宗教」から発展して来たものと言えるでしょう。

どちらも当初の目的は、「自然環境へ適応して生存すること」というところでしょうか?

ザシュニナの分析によれば、国家とは「組織」「機構」「コミュニティ」

人が集団で生活し、社会を運営する上でのシステムでありツールだと言い換えることができそうです。

それを「良く機能している」「適切な形態」「高度に洗練されている」と評価しながら、最終的に「暴走している」と結論づけるザシュニナ。

その理由は、「概念が定義を超えて力を持っている」から。

本来、人が生きることを容易にするためのいわば便利なツールだったはずのものが、その定義を超えて強力な支配力を持っている。

それがツール=道具であるならば、本来人が「主」で道具が「従」

しかし現状「国家」は人の上に君臨し、人は国家に従っている。

いわば主従が逆転し、使うための道具に人が使われている、とザシュニナの目には映っているのではないでしょうか。

ではなぜそのような主従の逆転が起きたのか。

これは私の憶測ですが、人間の持っている本質として、支配され、従う方が楽だから。ではないでしょうか。

宗教にしろ、国家にしろ、支配を受けている間は思考は停止していられます。

強力な指導者が「正解」を与えてくれるのだから、それをただ受け取り、従えば良い。

そこでヤハクィザシュニナの登場です。

彼は、まるで神のように世界にワムを与え、世界を変える。

しかし神とは決定的に違うところがあります。

神は正解を与えてくれるが、ヤハクィザシュニナは正解を与えてはくれない。

彼の答えは、実はもう出ているのです。世界に姿を現したその時、第2話の冒頭。

貴方たちは考え続けなければならない
私が敵なのか味方なのか
常に思考し続ける事
それが世界における唯一の正解だから(第2話)

当初は禅問答にしか聞こえなかったこのセリフ。

「ワム」という贈り物、そしてそれを受け取った人類側の対応を見た今なら、その意味が理解できそうです。

新しい神話のようにワムは世界を変える。

けれどワムはあくまで道具なのです。

道具を使うのは人間。どのように使うのか、その結果何が起きるのか、人間自身が考え続けなければならない。

それがヤハクィザシュニナが人に求める「正解」なのかも知れません。

『真道、私は人間に似合うモノを知っている』『進歩だ』(第3話)

ザシュニナが考える進歩とは、人間が道具に支配されて思考停止している状況から脱却し、自ら考え・考え続けることなのではないでしょうか。

ヤハクィザシュニナの印象について真道から尋ねられた徭沙羅花(ツカイ・サラカ)は、こう答えます。

『ヤハクィザシュニナは、人類に対して敵対的では無いという印象は持ちました』
『そもそも善悪の軸を持っているのか不明ですが、現時点では害意が少ないと感じます』(第4話)

「今、貴方たちは私が敵か味方かを早急に判断したいと思っている」

ザシュニナのこの言葉を裏付けるように、ツカイは相手をまず、「敵か味方か」で判断しようとしています。

しかし、そこで簡単に結論づけてしまうような思考停止を、彼はゆるしてくれません。

「だが、あらゆる事象において100%という確率は存在しない」(第2話)

ヤハクィザシュニナは人間にとって敵でも味方でもない

彼のやろうとしている事に賛同すれば味方となるし、阻止しようと思えば敵となる。

どちらに転ぶかは受け取る自分次第なのです。

そうしてみれば、第1話でこんなことを言っている真道は、すでにザシュニナの求める「正解」に辿り着いているのかも知れません。

「俺たちは神様じゃないんだ。何が正しかったのか、何が正解なのか。そんな事は一生分からないだろう。けど、分からなくても探し続けるしかないのさ」(第1話)

真道が早い段階でザシュニナの味方についたのも、こうしてみるとうなずけます。

『人よどうか正解されたい』

私たちは果たして、彼の言う「正解」に辿り着けるのでしょうか?

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