皆々様こんにちは。
諸事情で急遽『Sonny Boy(以下『サニーボーイ』)』の担当となりましたgatoです。
一先ず録りためたのを観ましたが…全然わからん!(笑)
ひとまず追っかけてみますが…どこまでできるやら。。
何はともあれ、今回は瑞穂が連れている3匹の猫がキーパーソンになる模様。
一体何がわかったのか、じっくり掘り下げてみましょう。
後、ついでに7話と8話にも触れてみようと思います。
なので今回はディティールの掘り下げは一旦置いときます。
目次
第7話・第8話をおさらい!
まずは記事になっていない第7話と第8話をざっくり掘り下げてみましょう。
先述したようにディティールの解説は省きます(文字数がえらいことになりそうなので笑)
第7話「ロード・ブック」
第7話は漂流の原因とされた長良が天地が逆さになった「この世界」で強制労働をされていました。
本来なら天を目指すバベルの塔が地の底に向いていたり、流れ星とされたものが洞窟に住むヒカリキノコバエだったりと、装置の小ネタが良く効いていましたね。
ひとまずおさらいをしてみましょう。
ビートニク(アメリカの文学運動が元ネタですかね?)に派遣された“断罪者”コウモリ先輩により、スス頭の「この世界」に連れ込まれた長良。
二つ星のように当て所なく地の底に向いた「塔」の建設のために働かされる…かと思いきや、対峙したコウモリ先輩によって許されるという展開になりました。
相も変わらず説明がほとんどない淡々とした筋立てでしたが、個人的にこの話の主軸だと思ったのはコウモリ先輩が長良を許す過程です。
少々意訳が入りますが、個人的にこれはコウモリ先輩が長良の「罪の受容」=「罪(そして世界)へ対峙する覚悟」を認めたから許したと捉えています。
第7話の冒頭、スス頭の「この世界」に連れ込まれた長良は自分が糾弾されていることを知り、「ナガタ」と偽名を名乗ります。
この時点で長良は漂流の元凶であることに向き合えず、逃避を図っていたといえるでしょう。
しかし二つ星と出会い、彼が巨大なヒカリキノコバエに食われた様を見てから、長良の行動に変化が生まれます。
二つ星は200年も意味のない労働に従事しつつも優しさと、都市伝説に過ぎない「流れ星」を一生懸命探す愚直さを持つ人物ですが、彼は「長良が自分と同じ匂いがする」と語っています。
ここから、長良と二つ星の交流は長良と長良自身の対話という側面を持つといえるでしょう。
つまり、確証もない希望を愚直に追う二つ星はどれだけ苦難に見舞われてもこれまで希望を失わないでいた長良自身でもあるわけです。
そして長良は二つ星と友情を結ぶことで、例え罪を背負おうとも希望を失わない愚直な自分を受け容れられるようになったというわけですね。
さて、ここからが意訳のゾーンですが、個人的にこのエピソードに「もう一人の長良」と呼ぶべき人物が二つ星以外にもいると思っています。
それは他ならぬコウモリ先輩です。
長良自身は忘れているようですが、コウモリ先輩はどうやら彼の小学校の同級生らしく、逆上がりのエピソードで二人が交流している場面があります。
この場面で、長良はコウモリ先輩が「コウモリ」と呼ばれていることを指して、「あんな風になるのは嫌」と口にしていました。
詳細な描写がないため推測するしかありませんが、これに対する当時のコウモリ先輩のリアクションを見る限り、恐らくコウモリ先輩は孤立していたのでしょう(だから長良はそのようになりたくなかった)。
しかしその経験で鍛えられたためか、現在のコウモリ先輩は当時とかなり違うパーソナリティを得ています。
当時は蔑称だったかもしれない「コウモリ」の名を受け入れ、紛糾するビートニクの面々を前にしても堂々と自分の意見を言う(そして常時傘の姿!笑)。
ここからコウモリ先輩は孤立を恐れないタフネスを身に付けているといえます。
そしてこのコウモリ先輩の在り方が、ラストで漂流の元凶である自分を受け容れた長良と重なるわけです。
これまでのエピソードや今回のビートニクの描写を見ればわかるように、漂流の元凶である長良がいずれ困難に行き当たったり、最悪孤立するリスクがあることは自明です。
しかし、それでも漂流を間違いにしないために、長良は逃げずに進むことを決意しました。
この長良にはかつてのように孤立することを恐れず、自分(罪、そして世界)と向き合いながら進む…それこそコウモリ先輩のようなタフネスがあると見ることができるでしょう。
つまり第7話は二つ星との交流を通じて長良が自分自身を見つめ直し、立ち直り、そしてコウモリ先輩に認めてもらうことで罪を許される…という筋立てになっているといえるのではないでしょうか。
余談ですが、個人的にこのプロセスは『灰羽連盟』の「罪を知る者に罪はない」に近しいものを感じましたね。
第8話「笑い犬」
やまびこの過去が語られた第8話でしたが、なかなか悲しい話でしたね。
この話は端的にまとめるならやまびこが無意識に作り出した自分の世界に引きこもった結果、外に出ることで達成できたはずのこだまの願いや彼女の救済の悉くに失敗するというもの。
ちょっと穿った見方をするなら、やまびこの失敗はある意味「この世界」がもたらす不条理の体現だと思います。
特殊な能力があれば何でもできるように見える「この世界」ですが、実際は様々な謎のルールや他者との交流が幾度も自由を奪うようにできています。
そして、何よりも「この世界」は停滞を許さない。
元の世界に戻れないにも関わらず、そこにいる者達は動き続けなければならない。
引きこもっても、引きこもっている限り解決できない問題が発生して消滅してしまう。
このように解釈した場合、第8話は第7話のラストに接続できる気がします。
第7話のラストで長良は「この漂流を間違いにしたくない」と口にしていましたが、これはある意味「漂流し続けることを受け容れる」と捉えることもできます。
そして孤独な長い旅を続けていたやまびこもまた「漂流し続けていた」と捉えられるでしょう。
つまりこの2人は重ねられる部分があるわけです。
しかし、この2人は核心的な部分で選択が違ったために、異なる結末を迎えます。
第7話において長良は無意味な労働を続ける世界の中でも抗い、外を目指しました。
それだけでなく、二つ星と交流し、コウモリ先輩と対話することで漂流を続ける覚悟を決めたわけです。
これに対し、こだまと出会ったやまびこは安らぎを覚えたために、外を目指すのをやめました。
さらに愛するこだまの側にいたかったために、本当は共に外に出ることを望んでいた彼女の願いを叶えることができなかった。
つまりどんな状況でも外や他者への志向を捨てなかった(捨てられなかった)長良に対し、やまびこは安らぎに負けて捨ててしまったわけです。
このように解釈すると、やまびこは失敗した長良と捉えることができるかもしれませんね。
おまけにこの解釈を念頭に置くと、今作における漂流の意味も見えてくる感じがします。
今作における漂流は例え希望を失くしたとしても、自分を律し、外や他者へ志向し続けること…というものではないでしょうか。
正直、長良の結末を見るまでは漂流の意味を断じない方がいい気もしますが…僕は一旦この路線で今作を見ていきたいと思います。
第9話「この鮭茶漬け、鮭忘れてるニャ」
随分長くなった前置きはここまでにして(笑)
いよいよ本題の『サニーボーイ』第9話を掘り下げていきましょう。
とはいえ、録りためたエピソードの視聴と、ここまでの記事の作成で結構疲れているので、第9話もディティールの解説を省き、本筋だけを追っかけていきたいと思います(笑)
さて、個人的に第9話は2つの軸で見ることができると思っています。
猫達の子離れ
第9話のエピソードにおける重要な軸の一つは瑞穂と、彼女を取り巻く猫のエピソードでしょう。
意外と年寄揃いだった瑞穂の猫ですが、いずれも瑞穂の保護者のように振舞っていることが印象的でしたね。
とりわけ白猫のサクラは瑞穂が孤立しないように心配し、「瑞穂は私なしでは生きていけない」というなど、保護者欲がかなり強いことが窺えます。
しかしそんなサクラの認識とは裏腹に、今回は瑞穂が大人になりつつあることが描写されました。
それを最も端的に示しているのがソウに言い放った台詞でしょう。
「自分でどうにかするしかないんだよ!」
かつて夜に一人で2階に上がることもできなかった彼女が、身を挺してサクラを助け、自分の力で生きていくと宣言する。
この姿を見て、サクラは彼女が大人になりつつあることを悟ったのでしょう。
さて、これだけ書くと後述するソウとセイジのエピソードと同じくらい重要視する意味がわからないように感じるかもしれませんが、実は今回のエピソードはさりげなく瑞穂と朝風を対比する構図が作られています。
サクラという保護者に頼らずとも一人で立ち上がれる瑞穂に対し、朝風はあき先生の指示を待ってばかりで自分から行動しない様が描写されていました。
おまけに自分の部屋を再現した「子ども部屋」に籠っているなど、朝風がまだ「子供」である面を強調する描写がされています。
極めつけは誕生祝いのクマのぬいぐるみへの対応。
瑞穂は猫の方が大事だったためにクマのぬいぐるみを捨てましたが、それを露悪的に笑って語っていました。
これに対して朝風はなぜか存在していたクマのぬいぐるみがあることに対し、「捨てたはずなんだ」とどこか悔しそうに語るなど、何らかの屈託があることが窺えます。
つまり、家族から自立した瑞穂(悪い意味の可能性もありますが)と家族(あるいは自分の家)から自立しきれない朝風が対比されているわけです。
正直、この対比にどのような意図があるかまだ掴み切れていないところがありますが、漂流を通じて前向きに成長しつつある長良達に対し、あき先生に「縋る」ことで何も変えられずにいる朝風達を強調する意図が今回のエピソードにはあったのかもしれません。
コピーの行く末
さて、もう一つの軸であるソウとセイジを巡るコピーの物語も掘り下げてみましょう。
前任者の方の第5話の記事ではニャマゾンの本質は別のものではないかと書かれていましたが、今回のエピソードでニャマゾンの本質がコピーであり、長良達もまたコピーであることが語られました。
どうやら漂流の真実にも1枚噛んでいるコピーですが、そこにどんな意義があるかは正直まだわかりません(笑)
なので、ソウとセイジのエピソードを振り返りながら考えてみることにしましょう。
ソウは何らかの不具合で生まれたもう一人の自分(コピー)のセイジが自分より髪の毛一本多いことから、何千年も2人で争うことになり、最終的にはあき先生がもたらした能力遺物でソウがセイジを消滅させることで決着をつけます。
しかし決着後の空しさからソウは自決。
長良がラストでいったように「大きい穴」だけが残った空しい戦いに終わったわけです。
…うーん、わからん(笑)
ひとまずソウとセイジのバッドエンドは、それとなく「自己否定の末路」という感じはしますね。
どういう経緯でセイジが生まれてしまったかは不明ですが、本来ソウはセイジを否定するべきではなかったでしょう。
ただソウはそれができず、セイジを何度も何度も否定し続けた結果、自分が消滅してしまった。
まぁコピーの意味もソウとセイジの過去も良く知らないので、こんなそれっぽいことしかいえないんですけどね(笑)
ひとまず繰り返しリセットする…つまり「リバース」し続けていたのは他ならぬソウ自身だったとはいえそうです。
もうちょっと穿った見方をするなら、ソウとセイジの末路はかつてのヤマビコのように停滞した結果のようにも思えます。
うーん、色々書いてみましたが全然広がらない(笑)
正直、漂流やコピーの意味がわかってはじめて意味が伝わるエピソードのような気がするんですよねー。
なのでもうちょっとこのエピソードは寝かしておくことにします(笑)
『サニーボーイ』第9話感想
正直、ソウとセイジより瑞穂や朝風の描写の方が気になった回でしたね。
それにしてもこのアニメは猫が好きだなー…。
色んなリソースが人間より使われている気がする(笑)
あー、本来は前置きでいっておくべきことですけど、一応お断りを。
今回の記事作成において、基本的に僕は原理を追いません。
つまり「これはこういう仕組みで、誰々の能力がこう作用したからこうなった…」みたいなことは基本的にやりません。
理由は簡単です。
『ワンエグ』を見て、やるだけ意味がないと思い立ったからです!(笑)
まぁ冗談はさておき、単純に原理だけ追うとメタの裏を読めなくなる気がするのやめるだけなんですけどね(笑)
何はともあれ、次回も注目!
第10話の記事でお会いしましょう~。
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