こんにちは。くらむBONです。
「ひぐらしのなく頃に卒」アニメ「祟明し編・其の弐(卒8話)」のポイントを振り返りながら考察をしますので、ネタバレを踏みたくない方はご注意下さい。
祟明し編・其の弐では主夫業が板についてきた鉄平と、魔女として覚醒しつつある(?)沙都子サイドの物語として進行しています。
8話でのテーマは沙都子の心理と、エウアのセリフへの違和感、祟明し編の結末に関して考察していきます。
今回のキーワードは「エウアのつぶやき」です。
では、「ひぐらしのなく頃に卒」の惨劇について考察してみましょう。
目次
極主夫・鉄平と沙都子の北条家日常回
エプロン姿の鉄平はどう見ても飴ちゃんをくれる大阪のおばちゃんにしか見えず、視聴者という傍観者として、エウアでなくても腹筋崩壊必至でした。
しかし、平穏な生活を望むと嘘をついているコロコロ沙都子に、盤上の駒として扱われている鉄平に哀れさを感じてしまいます。
私たちの愛すべき鉄平が沙都子と平穏に暮らす未来を勝ち取る展開は訪れるのでしょうか?
この記事では考察部分に関しては個人的な意見としてとらえていただければ幸いです。
沙都子へのファン心理
これまでの「ひぐらしのなく頃に業・卒」を通して、沙都子に対するヘイトがたまってきていて、中には視聴を止めてしまうファンなどもいるようになってきました。
旧作「ひぐらしのなく頃に無印・解」で村全体の被害者だった沙都子が健気に頑張るところがかわいい印象を与えていたのでファンが多かった。
しかし「業・卒」で惨劇の加害者になったことでキャラ崩壊してしまって、推しを辞めて離れていくという図式なのかな。
これでもし、沙都子が救われる未来や、梨花との和解が描かれ世間から評価されたとき、その元ファンを自称する人はどう考えるのでしょう。
惨劇が繰り返されるのは「ひぐらし」では当たり前の事なので、「ひぐらし卒」を最後の結末まで見ないで評価するのは、ファンとして早計なのかなと思います。
沙都子の心理はどうなっている?
梨花の聖ルチーアへの進学を諦めさせて雛見沢に閉じ込め、みんなが幸せに暮らせる未来へとたどり着くという沙都子視点の最上エンディング。
やり直せる100年続いたループの中で、惨劇を繰り返しても最上のエンディングへとたどり着いた梨花の物語が、沙都子自身の行動に正当性を与えてしまっているのでしょう。
この思いは鬼明し編の沙都子のセリフで語られています。
「梨花を雛見沢に留まらせることが出来たら、その世界では必ずあなたも幸せにしてあげましてよ」
引用:ひぐらし卒・第2話 「鬼明し編・其の弐」
そこをエウアにつけこまれたのが「業・卒」のひぐらしの世界なのではと私は考えています。
沙都子の願望にとらわれた運命を打ち破る結末は残されていないのでしょうか。
この回答は猫騙し編以降で判明する事なのでしょう。
これまでの雛見沢のカケラ世界で、運命を打ち破るキッカケを作ってきた口先の魔術師の出番を期待したいところです。
エウアのつぶやき
今回のエウアのセリフから魔女というキーワードが出たことで、「沙都子=ラムダデルタ」説を提唱する考察勢が増えることが予想されますが、あからさますぎるので私は疑心暗鬼。
これまで沙都子の心理を考察してきて、沙都子の目的とラムダデルタの目的に違和感があるので、私は安易に結びつけるのは避けたいなという印象を持ちました。
沙都子の目的は「雛見沢で梨花と暮らすこと」で、ラムダデルタの目的は「ベルンカステルを永遠に閉じ込めて一緒にいる」という、似て非なる目的なので妙な引っ掛かりを感じてしまうのです。
「フェザリーヌ=エウア」説も根強く、「うみねこ」と「業・卒」でそれぞれの盤上の観劇を楽しんでいるという類似点があります。
「フェザリーヌ=エウア」なら目的は観劇のはずですが、この雛見沢での盤上で、なぜ沙都子に目をつけてゲームに介入しているのか不明です。
仮にエウアの目的が「魔女」にあるのなら、この雛見沢の沙都子はラムダデルタの苗床ということになりそうな予感。
前回の考察で少し触れましたが、私は盤上が「ひぐらし」と「うみねこ」で違う世界なのではないかという疑念を持っています。
前回記事は次項でリンクをご案内しています。
祟明し編の大石発症ルート別パターンを紹介
前回のコメント欄で非常に面白い説があり今回取り上げてご紹介します。
一本のH173使用で状況の説明がつくので奇麗な解答が得られるルートです。
大石発症ルートに関する記事はこちらです
考察内容は沙都子が綿流しの夜に圭一へのH173投与を狙ったが、北条家の事件で失敗した沙都子が大石にH173を投与したという説です。
この場合は「皆殺し編」ルートを成功した圭一を陥れて、梨花に精神的ダメージを与えるというものですね。
ひぐらしのなく頃に卒8話感想まとめ
今回描かれたのは「祟騙し編」で描かれた背後の部分で、北条家で暮らす沙都子と鉄平おじさまの、ある意味では普通の家族の物語。
ルールZに縛られず、沙都子と鉄平のこんな日常が続いてほしいと考えてしまって、少し感傷的になりました。
しかし、コロコロ沙都子とエプロン鉄平のかわいさを楽しむ回になってしまっていて、ちょっと苦笑。
解答編として描かれているために考察要素が薄すぎるため、今回はエウアの発言を取りあげてうみねこ設定について少し触れてみました。
私の中で別作品ととらえている作品について触れるのは、気が重いのですが今回はあえて入れています。
「うみねこ」の物語の構造が謎が解かれる前提で作られた物語ではなく、結末に対する考察前提で作られている物語だと考えている先入観ゆえでしょうか。
仮説はいくつかあるのですが「ひぐらしのなく頃に卒」の行く先を、「うみねこ」へ至る過程の魔女落ちエンドと予想するのは安直なので、もう少し様子を見たいところです。
ではまた次回で。
ばいばい。
▼ひぐらし業&卒の記事はこちらにまとめてあります
▼当サイトでは他にも多数のアニメを考察しています!
最新情報をお届けします
Twitter で2017春夏秋冬アニメ考察・解説ブログをフォローしよう!
Follow @anideep11
コメント
>今回のエウアのセリフから魔女というキーワードが出たことで、「沙都子=ラムダデルタ」説を提唱する考察勢が増えることが予想されますが、あからさますぎるので私は疑心暗鬼。
業・卒の謎って、あからさまな事がそのまま答えのケースが多いですよ
怪しいシーンが多かった沙都子はそのまま黒幕
騙し編は無印で被害者だった人物が加害者(祟り騙し編も沙都子はもちろん大石も山狗に消された被害者から加害者に)
まあ、ベルンカステルは梨花そのものじゃないし、ベアトリーチェもヤスそのものじゃないので、ラムダデルタも沙都子が元になった人物だったとしても同一存在じゃないでしょうけどね
ラムダデルタの言動やカボチャネタが沙都子に似てるのは確かです
>沙都子の目的は「雛見沢で梨花と暮らすこと」で、ラムダデルタの目的は「ベルンカステルを永遠に閉じ込めて一緒にいる」という、似て非なる目的なので妙な引っ掛かりを感じてしまうのです。
エウアも羽入も雛見沢を「鳥籠」に例え雛鳥(梨花)を閉じ込めていると語っています
沙都子はある意味で「梨花を雛見沢に閉じ込めたい」わけです
また上記のように沙都子がラムダデルタを生み出すとしても、沙都子自身がラムダデルタになるわけじゃないと思ってます
ヤスはベアトリーチェではなく、人間として死亡してますしね
名無し1号さん。
コメントありがとうございます。
そこですね。ラムダデルタとなる存在ではなく、可能性の一つとして沙都子がラムダデルタを成長させるための器ではないかと考えています。
(34号文書と同じく、以下は考察ではなく単なる妄想説です。H173ガンギマリでL5雛見沢症候群を発症中。)
例えば「LD3105」と呼ばれた沙都子がラムダデルタを生み出すための3105例目の実験体説なんてあったら面白いですね。
鷹野三四が34番目ループの実験体で「オヤシロ様になる=魔女になる」願望を抱えてループを繰り返していたが、「祭囃し編」でとん挫したため、3105番目のループで沙都子が魔女となるように選ばれエウアが環境を変えるために介入。
(100年のループを1ループを20日くらいとくらいと考えると1800回くらい。梨花+沙都子ループが累積された回数と予想)
雛見沢という環境が箱庭世界で魔女を生み出す「鳥かご」と呼ばれている実験場だったとか、エウアたちの管理するシミュレーション世界のようなものだとか、妄想仮説はいくらでも出せますが根拠となる部分が書けないと記事にできず、つらいところです。
(妄想終了)
>まあ、ベルンカステルは梨花そのものじゃないし、ベアトリーチェもヤスそのものじゃないので、ラムダデルタも沙都子が元になった人物だったとしても同一存在じゃないでしょうけどね
ラムダデルタの言動やカボチャネタが沙都子に似てるのは確かです>
>また上記のように沙都子がラムダデルタを生み出すとしても、沙都子自身がラムダデルタになるわけじゃないと思ってます>
ではまた。