皆々様こんにちは。
『平家物語』担当のgatoです。
前回は治承三年の政変(じしょうさんねんのせいへん)に始まる平家の横暴や、徳子が人を「赦す」という理由と想いが語られました。
重盛がいない中、着実に平家の栄光が陰っていくのが感じられますね…。
さて、今回は平家による遷都が描かれ、そしてついに源氏の棟梁であるあの人物が登場します。
いやーこの話ほどオチが怖いものはないかもしれませんね(笑)
何はともあれ、どんなエピソードだったか振り返っていきましょう。
目次
福原遷都
冒頭では福原遷都(ふくはらせんと)の場面が描かれました。
福原遷都は清盛が強行した施策の一つであり、当時の都である平安京(京都)を福原京(兵庫)に移すというものです。
頼朝の挙兵もあったので結局都は平安京に戻ることになりますが、清盛の施策は当時の政治の中枢を丸ごと別の土地に移すという大掛かりなものでした。
ただ、今作における福原遷都はネガティブに描かれています。
狭さをグチる後白河法皇もそうですが(実際福原は平地が少なくて都市が作りにくかったそうです)、最たるものは資盛(すけもり)の台詞でしょう。
福原に貴族達が移るために屋敷が解体され、人がいなくなることで平安京が廃墟のようになる…。
資盛の台詞から、今回の福原遷都は図らずも反平家・親平家の選別の効果をもたらしていますが、従来の権力構造が息づいた平安京を解体した一面もあるように感じます。
既存の権力を解体し、新たな権力の依り代となる福原京を設立することこそ、清盛が目指した平家の隆盛の最たるものだったのかもしれません。
敦盛の笛
今回は新たに平家の一門の一人、敦盛が登場しました。
いやー、また悲劇の主人公が出てきてしまいましたね(笑)
古文の授業でも取り扱われるほど知名度の高い人物ですから、その末路を知っている方は多いでしょう。
今作における敦盛は純粋に清盛や重盛、重衡(しげひら)を武士として尊敬する、真面目な美少年として描かれています。
どちらかというと清経のように戦の過酷さや平家の黒さをまだ知らない感じもしますが、平家の良心という感じがしますね。
今回は敦盛が清経、重衡と笛のセッションをする場面がありましたが、作中でも触れていたように彼が使っている笛は「小枝(さえだ)」と呼ばれており、祖父の忠盛が鳥羽上皇からもらった笛とのことです。
由緒正しい笛を持っているだけあって敦盛は清経と同様に笛の名手であり、またわずか5歳で官職を得るなど、末子ながら結構優遇されていたみたいですね。
ちなみに敦盛を主人公にした幸若舞『敦盛』は織田信長が好んでいたとして有名です(能の方じゃありません)。
「人間五十年化天の内を比ぶれば夢幻の如くなり」は特に有名なフレーズですね。
高倉上皇のご自嘲
福原遷都の時期から高倉上皇は体調不良を起こしていたようですが、看病に来た徳子に想いを語っている場面がありました。
実は高倉上皇は徳子に惚れてはいましたが、無知で無力な自分が恥ずかしくてしょうがなかったとのこと。
そして自分が倒れてから甲斐甲斐しく看病し、法皇の世話もしてくれる徳子に感謝していました。
第3話の記事でも触れましたが、もしかしたら高倉上皇が徳子を避けているような素振りを見せていたのは、この徳子への想いがあったからかもしれません。
徳子に対して高倉上皇は何もできない自分を恥じていた…つまり劣等感のようなものを抱いていました。
おまけに清盛と後白河法皇の板挟みで無力感をますます突きつけられる環境にある。
つまり高倉上皇は徳子を想うために、徳子に釣り合わない自分を顧みることが辛かったのでしょう。
だから小督局(こごうのつぼね)や殖子(しょくこ)の元へ通ったのでしょう
しかし徳子がそんな自分を赦し、なおも献身的に尽くしてくれるためにますます肩身が狭くなった…という感じでしょうか。
実際、史実の高倉上皇は福原遷都に反対だったといわれていましたが、清盛に強行される結果となりました。
第6話の段階で、高倉上皇は何もできないまま清盛に振り回されっぱなしで、最後まで無力だったわけです。
この無力さを痛感しながら病に倒れるという様は、やはりどこか重盛を連想させますね。
まぁ今の感覚で見ると高倉上皇の振る舞いは褒められたものではないですけど(笑)、彼なりの葛藤と徳子への愛情を感じられた気がします。
ところ、今回は安徳天皇が波の音に怯えて泣く場面がありましたが…これも意味深ですよね…。
本当に嫌な伏線を敷くアニメだな(笑)
頼朝来たる
今回はいよいよ頼朝が登場して挙兵、富士川の戦いで勝利した場面までが描かれました。
ただ、今作における頼朝の人間像はちょっと独特な感じがしましたね。
一般的にイメージされる頼朝は「一門である源氏を滅亡寸前まで追いやった平家と真っ向から戦った」という感じですが、今作の頼朝はそこまで挙兵に乗り気ではなく、また清盛のことを「清盛公」と呼ぶなど、平家への敵愾心も少ない印象があります。
文覚(もんがく)が持ってきた義朝のドクロはもちろん、院宣でさえも本物か疑うなど、かなり消極的な感じもしますね。
史実の頼朝も一度平家との和睦を模索するなど、必ずしも平家打倒一辺倒な人物ではなかったようですが、今作における頼朝は平家への不満を抱く者達に担ぎ上げられているような描写をしている気がします。
ここまでの話を振り返ると、彼もまた駒の一つとして世に出てしまった…みたいな捉え方もできるかもしれません。
ただ、そういえるのはこの先の頼朝の立ち回り次第なので、もう少し様子を見てみましょう。
維盛無惨
前回の園城寺との戦いですっかりトラウマを負った維盛(これもり)ですが…今回も色々大変そうでしたね。
富士川の戦い
富士川の戦いはある意味維盛の武士としての評価の低さを決定づける戦いの一つといえます。
第2話ですでに伏線が敷かれていたように、水鳥の羽音を敵襲と勘違いして逃げた場面がとりわけ象徴的ですね。
今作において、富士川の戦いは武士として平家の凋落を印象付けるものでした。
同行していた実盛が憂い、忠清が気を使ったように、維盛をはじめとする平家の兵士達は軟弱さを強調されていました。
水鳥の羽音で逃げ惑ったは誇張とされていますが、史実でも平家は兵糧不足で士気が低下しており、水鳥の羽音で敵の奇襲を察したものの、迎撃する気概がなかったために撤退したそうです。
いずれにせよ、維盛をはじめとする平家の面々が源氏と真っ向勝負ができないくらい弱っていたということですね。
まぁ一応維盛はこの後の墨俣川の戦いでは勝利しているので、決して勝ったことがない武将というわけではないですが…。
武士になれず
富士川の戦いで大敗し、清盛から大目玉を食らった維盛は舞を止め、武士として変わることを決意しましたが…その姿はどこか痛々しかったですね。
武士として評価が高かった重盛の跡継ぎとして期待されるも、その期待に応えられない彼の葛藤が垣間見えます。
維盛をはじめとする重盛の子供達は舞や笛を好きだったり、色恋に現を抜かしたりと、武士らしさはそこまで感じられません。
ただ、彼らは朗らかで優しく、平家を憎んでいたびわが心を許すほどの包容力を持っていました。
そんな彼らの良さが戦いを、武士になることを通じて次第に失われていくことを、今回の維盛は示唆しているのでしょう。
清盛の葛藤
今回は清盛の様々な場面が描かれていましたが、どれも印象的なものでした。
父として
個人的に印象だったのが、これまで強欲で強権的だった清盛がどこか弱さを垣間見せる描写があったことです。
物の怪を睨み返して敦盛に賞賛される一方で、物の怪を鎮めるためにびわに演奏を頼んだり、重盛のことを惜しんだりと、今回の清盛は普段と違う一面を見せていました。
とりわけ清盛がまたびわに手をつけようとしていると思われ、時子に皮肉を言われて困った顔を見せた際はびわに微笑みかけられています。
第2話の時点でびわは清盛に突っかかっていましたが(父親のこともあったのでしょう)、それを考えるとかなりの変化です。
恐らくこの時の清盛は、重盛を喪って呆然としていた時に近い心情を持っていたのではないでしょうか。
傲岸でも親子の情に絆されて弱さ=父の表情を垣間見せたからこそ、びわも好感を抱いて清盛に微笑んだのでしょう。
武士として
重盛をひとしきり惜しんだ清盛ですが、すぐに普段の調子で自分の半生を語り、平家一門で団結して戦い、世を変える意義を説きます。
ここは前回の記事で触れた清盛のスタンスが強く表れていますね。
第1話の時点から示唆されていたように、清盛が生きた時代は武士が見下され、貴族や僧侶が権力を握っていました。
そんな時代を清盛は武力と策謀を駆使して生き抜き、強大な権力を手にしたわけです。
ある意味、清盛の生き様は非常に武士らしいものだといえるでしょう。
これだけ聞くと清盛は過去の成功体験に固執している印象がありますが、実際はもっと切実なものだと思います。
武士が卑下される中で、清盛はあらゆる手を尽くして戦いに勝ち、謀略を成功させ、時には同族と敵対して喪うこともありました。
一門の繁栄のためにあらゆる手を尽くすしかなかった清盛にとって、平家一門の幸福を実現する方法は武士らしく戦い、権力を得ることだけだったのです。
もちろん、前回の記事でも書いたように、そんな清盛のスタンスは急進的過ぎて子供達からも望まれなかったばかりか、同時に富士川の戦いにあったように武士らしさを徐々に失っていた平家とはズレていました。
とりわけ今回は富士川の戦いにおける維盛にそのズレが現れています。
皮肉にも平家繁栄を成し遂げた清盛のスタンスが却って平家と清盛のズレをより鮮明にしていたわけです。
清盛がそれしか方法を知らなかったとはいえ、やはりここには悲劇性を感じざるを得ませんね。
物の怪視たり
やや話が逸れますが、清盛が視た物の怪について書いてみたいと思います。
夜な夜な現れる物の怪を睨み返すして追い払うという豪胆さを見せる一方、びわに演奏を頼むなど清盛はどこか参っている一面を見せていました。
個人的に今回の清盛と物の怪を取り巻く描写は、重盛が霊を恐れていた場面を連想させます。
もちろん清盛が物の怪を見たことは、びわの未来視や重盛の過去視とは違うロジックですが、個人的にその本質に近しいものを感じます。
少しばかり意訳をするなら、びわが未来(さき)を、重盛が過去(霊)を視るのなら、清盛は物の怪を通じて変質した「今」を視たのではないでしょうか。
「今」という文脈で見た場合、物の怪は「平家への反抗勢力」の表象と捉えられます。
そうなると、清盛が物の怪を睨みつける場面は、鹿ヶ谷の陰謀や治承三年の政変のように彼が反抗勢力と必死に戦う構図を暗喩していると読めるでしょう。
そして彼が物の怪に参っているところは、清盛が反抗勢力との戦いの中で彼が摩耗していることを示唆していると解釈できます。
だとしたら、清盛が物の怪に疲れながら必死に追い返している様は、平家の栄華のために反抗勢力を排除しつつ、重盛などを喪うことで少しずつ精神を消耗している彼の心境を示しているといっていいでしょう。
だから今回の清盛は、武士らしい強硬姿勢を見せつつ、びわに微笑まれるほどの弱さを見せていたわけです。
tips:源氏
源氏は清和天皇の末裔ともいわれる、平家と並んで著名な武士の名門です。
もちろん平家と同じように、摂津源氏(頼政や仲綱)・河内源氏(頼朝や義経)などのたくさんの系統があり、めちゃくちゃややこしい一族です(笑)
そんな源氏ですが、今作においては興味深い対比がされていましたね。
清盛や知盛、重衡が口にしていたように、平家は「一門」として結束して戦うことを重視していました。
とりわけ清盛はどんな反抗勢力も一門が結束すれば問題ないと考えるほど、一門=家族の力を信奉しています。
これに対し頼朝は「一門ではなく、一門以外の力を結集させて戦う」と口にしていたように、家族ではなく他人の力を集めて戦うという平家とは真逆のスタンスを取っています。
事実、頼朝は後に弟の義経や範頼、従兄弟の義仲、叔父の行家など同族でも平気で敵対して滅ぼすなど、一門が相手でも容赦なく排除しています。
この両者の対比は非常に興味深いものです。
個人的に、今作において平家が武士として凋落したのはこの一門にこだわるスタンスも原因のような気がします。
確かに栄華を極めて太平を満喫したために平家が軟弱になったとみることができますが、一門を重視するあまりお互いに助け合う関係性を持ったために、平家は武士としての覇気を喪ったのではないでしょうか。
もちろん一門として結束力が高いのはいいことですが、維盛に対する忠清や重衡、知盛に象徴されるようにそれは一種の甘さといえる部分もあります。
同族に対しても厳しく接し、強く鍛え上げていくのが武士らしさといえますが、平家は一門を大切にするあまり、それができなくなっていたのではないでしょうか。
つまり結束した平家一門はあまりに優しい家族であり過ぎたわけです。
実際、頼朝がそうであったように、歴史で名を挙げる武士は同族相手でも敵対すれば容赦なく排除する人物が多くいました。
そして皮肉にも一門にこだわる清盛でさえも、保元の乱で敵対した叔父の忠正達を喪っています。
そう考えると今作において、武士の世を拓きながらも平家が滅んだのは、同族相手でも厳しく、容赦なく接する武士らしさを失くしたから…という解釈ができそうですね。
ただ、これは悲劇ですよね…。
とりわけ父を喪い、平家の面々を擬似的な家族としていたびわにとって、「家族であり過ぎた」ために滅びる平家を目の当たりにするのは…。あまりに残酷です。
『平家物語』第6話感想
個人的に清盛の新たな一面や、今作のおける平家と源氏の扱い方の方向性が見られて面白いエピソードでした。
いやー滅亡の足音が近づいていますね!(笑)
ところで、ラスト辺りでびわが拾った猫ですが…すごい意味深だなぁ。
というか白い毛色、眉のような模様、青い両目といった特徴が弾き語りをする未来のびわにすごい似ているんですよね。
おまけにびわは資盛から「化け猫」と呼ばれていたしなぁ…。
まさかびわは平家滅亡と共に命を落とし、化け猫が彼女になり変わって平家物語を弾き語る…みたいなとんでも展開があるのではないだろうか(笑)
まぁ冗談はこれくらいにして、次回も楽しみにしたいと思います。
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