皆々様こんにちは。
『平家物語』担当のgatoです。
前回は清盛と後白河法皇の間で起こった「鹿ヶ谷の陰謀(ししがだにのいんぼう)」が描かれ、平家の繁栄に斜陽の兆しが見え始めましたね。
これまであったほのぼのした雰囲気に陰が差してきた気がします…。
さて、今回はついにあの人物が物語から退場するようです。
恐らく今作における最初の山場であり、悲劇の始まりといえるエピソードになりそうですね。
一体何が起こったのか、じっくり振り返っていきたいと思います。
目次
鹿ヶ谷、その後
前半では鹿ヶ谷の陰謀に関係した人物達のその後が描かれました。
前回首を斬られた西光以外では、俊寛は流刑となり、成親は流刑の果てに食事を与えられずに命を落としました。
俊寛の末路を語る際に描かれた卒塔婆(そとば)のエピソードは実際に平家物語にも出てくるものであり、流した卒塔婆の一本が厳島(いつくしま)に流れ着いたことに清盛が感銘を受け、恩赦を実施したという逸話があります。
しかし鹿ヶ谷の陰謀の首謀者とされ、また卒塔婆流しに加わらなかったことから俊寛は赦されず放置。
その後、悲嘆に暮れ、食事を断って自害したといわれています。
ある意味これ以上に凄惨な末路を遂げたのが成親でした。
重盛の義兄であり、維盛の舅(しゅうと)であった成親でしたが、重盛の助命嘆願も虚しく、流刑にされた挙句に食事を与えられなかったことで命を落としました。
もう実質的な処刑ですね。
この扱いの背景には、成親が鹿ヶ谷の陰謀に加え、嘉応の強訴(かおうのごうそ)の標的になっていたことも遠因にあるようです。
平家と懇意にしている延暦寺に目の仇にされ、おまけに平家打倒の目論見に加担してしまった。
いくら重盛の親族とはいえ、ここまで平家に不都合な行為を繰り返していれば、標的にされるのも仕方ないかもしれません。
しかし、成親が命を落としたことは重盛の政治的地位を揺るがすことでもありました。
成親が平家打倒に加担したこともちろん(平家物語では欲しかった官職に重盛が着任したことに嫉妬したことが動機らしい)、平家棟梁でありながら救いたい者を救えなかったという事実は、重盛の面目を完全に潰すことでもあります。
板挟みにされた挙句に、後白河法皇の窓口として重用していた義兄を喪い、清盛を制止できない無力さを思い知らされる。
鹿ヶ谷の陰謀は清盛と後白河法皇の政治的対立だけでなく、重盛の凋落を示す事件でもあったわけです。
平家の皇子
前半では鹿ヶ谷の陰謀に加え、ついに徳子が出産する場面が描かれました。
ここで産まれた子がある意味最も有名な天皇の一人である安徳天皇です。
前回から子どもが産まれることを望んでいなかった素振りすら見せていた徳子ですが、さすがに待望の子どもが産まれてからはすっかり愛おしく思うようになっていました。
しかし、清盛が涙を浮かべながらデレデレしつつ、孫を新たに平家のための駒にするような発言を零していたのを見て、徳子は複雑な表情を浮かべていましたね。
加えて個人的に印象的だったのが、第2話で徳子が話していた妹の盛子が夭逝した場面です。
平家の一族であり、清盛の娘でありながら、息を引き取った盛子の傍らにいたのは重盛・徳子・びわの3人だけという、どこか寂しい場面でした。
そして、その場面で徳子は清盛が盛子を利用して藤原氏の所領を奪おうとしたことを非難します。
この場面は、すでに盛子が愛し愛される平家という家族の一員ではなく、ただ役目を終えた駒となってしまったことを強調しているように感じました。
つまり欲望のままに栄華を追い求める清盛の駒になってしまった者の末路が暗示されているといえるのではないでしょうか。
第3話で維盛が「もう戻れない」と感じたように、すでにこの時点で平家は「家族」としても機能不全を起こしつつあり、戻れない滅びの道を歩み始めているわけです。
また、冒頭でうなされていた徳子が「来ないで」とうめいていたところを見ると、夢うつつとはいえ彼女にも霊が視えていたような感じがしましたね。
この時点で、平家への恨みつらみが一門の繁栄を蝕んでいることが示唆されている気がします。
資盛の恋
悲劇的な展開が多い第4話でしたが、その中でも一服の清涼剤となってくれていたのが資盛(すけもり)と伊子(いこ)のエピソードでしたね。
というか今作は伊子を「いこ」と呼ぶのか…てっきり「いし」だと思っていた(笑)
前回の記事では伊子こと建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)が資盛と藤原隆信の三角関係をばっちり描いていましたね。
そして資盛は彼女の気を惹くために別に恋人を作ると決め、あまつさえびわを誘うなど、今の感覚では理解できないアイディアを思いつきます(笑)
まぁ当時の感覚だと資盛の発想はそこまで奇天烈なものではなく、実際資盛は伊子とは別に妻を持っています。
側室や妾(めかけ)を持つことが当たり前の時代だからこそ、成立するアイディアというわけですね(もちろん正室と愛人がバトることはあったそうですが)。
それに今作の描き方で見るなら、当時の貴族の結婚はある程度政治的な思惑で行うものであり、それこそ高倉天皇や徳子のように息苦しく感じる者もいたでしょう。
そう考えると、妾との関係が一番自由恋愛に近いのかもしれません。
余談ですけど、義経と愛し合ったことで有名な静御前も彼の妾であり、義経は義経でちゃんと結婚していました。
…なんかこの時代の有名な恋愛譚って、愛人ばっかりですね(笑)
父となった維盛
個人的に興味深かったのが、今回のエピソードで維盛がメインの場面がいくつかが描かれていたことです。
まず一つが維盛が妻子と過ごす場面。
維盛といえば初登場時は線の細い美少年という感じで、遊んでくれないびわの前ですねるなど、あどけなさが強調されていた印象でした。
しかし、今回はびわが言っていたように「おとう」としての一面を見せ、父(成親)を喪ったばかりの妻の新大納言局(しんだいなごんのつぼね)のために琵琶を弾くよう頼むなど、家族思いな姿も見せていました。
さらに息を引き取る前に、重盛が維盛に無文の太刀を引き渡し、自らが清盛の最期に立ち会えないことを告げます。
あの一連の行為は寿命を悟った重盛が維盛に地位を継承を行ったと見ることができるでしょう。
つまり、維盛は子どもが産まれたことによって父になっただけでなく、重盛が逝った後に重盛一門(小松家)の棟梁となる…いうなれば一門の「父」となったことを示唆しているわけです。
これまであどけない子ども、優しい青年として描かれた維盛の地位が劇的に変動したことが窺えます。
他方で、今回の維盛は重盛と比較すると面白い点があります。
びわと水遊びをするなど、まだあどけなさを残している維盛ですが、重盛に彼同様に思いつめやすい気質があることを指摘されています。
それだけでなく、前回から維盛は「あの頃には戻れない」という旨の発言をしていたり、水遊びの際に厳島でのやり取りを思い返したり、「過去」を懐かしむ描写が多くあります。
この点を踏まえると、これまで記事で指摘しているように維盛は重盛のように「過去」と向き合い続けるキャラクターであるといえるでしょう。
しかし、維盛と重盛は同じ過去を見ていても、その向き合い方は決定的に違っています。
重盛は平家に恨みを持つ霊が現れるために過去を恐れながらも、清盛の横暴を止めようと奔走していました。
つまり過去に苛まれつつ、彼なりに「今」を守ろうとしたわけです。
対して維盛は平家の立ち位置が変動していくこと感じ、これまでのようにはいかないことを理解する一方、どちらかというと過去を懐かしむ…懐古するような感じでした。
決して現実逃避をしているわけではありませんが、維盛は美しく楽しかった過去=想い出をただ懐かしむようなスタンスであり、「怖いもの」と捉えていた重盛とは過去の「視え方」が根本的に異なっていることがわかります。
まぁ保元の乱、平治の乱を勝ち上がり、清盛と共に平家繁栄の礎を作ってきた重盛と違い、維盛は平家繁栄のために前線に立っていた世代ではないため、重盛にとっては「数多くの過ちがある時」だとしても、維盛にとっては「家族で楽しく過ごした時」になり得るわけです。
とはいえ、個人的に過去の視方が違うからといって、維盛を非難する意図はありません。
むしろ重盛と同様に、維盛もまた過去になってしまった「今」の美しさを知り、儚みつつも大切にする人間なのだと思います。
しかし現実は残酷で、重盛でも止めきれなかった清盛の専横は続き、時代は徐々に平家打倒に傾いていきます。
そんな中で重盛の地位を引き継いだ維盛がどのような立ち回りを見せることになるかは…続きを見てからにしましょう。
重盛逝く
第1話から登場し、主要人物の一人であった重盛でしたが、今回で息を引き取ることになりました。
そんな彼の足跡をここでは振り返ってみたいと思います。
報われぬ忠臣ではなく
重盛は楠木正成、万里小路藤房(まりのこうじふじふさ)と並ぶ「日本三忠臣」に数えられるなど、後白河法皇への忠義が後世に評価された人物でした。
今作においても重盛は身を張って清盛を制止するなど、後白河法皇への忠義立てする場面が描かれました。
ただ、個人的に今作の重盛は単純に「報われぬ忠臣」として捉えるよりも、もう少し複雑に捉えたいところです。
前回の重盛は武装し、兵を率いてまで清盛を制止しましたが、決して「いうことを聞かないなら攻撃する」とは言っておらず、むしろ「いうことを聞かないなら私の首を刎ねろ」と、どちらかというと自分を犠牲にする形で清盛を制止しています。
つまり初めから重盛には清盛を討つつもりがなかったといえるのではないでしょうか。
そもそも重盛は第1話でも父に「おもしろうない」と言われて凹みながらも、棟梁を任されるほど信任を得るなど、清盛との関係は決して悪いものではありませんでした。
また有名な「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」に則した発現を窺う限り、清盛が暴走する状況でも重盛は父を大切にしたいという想いを抱いていることがわかります。
つまり重盛は「父」も「主」も大切にしたかった人物であり、後白河法皇への忠誠心が優っていた単純な忠臣ではないのではないでしょうか。
まぁ、いずれにせよ報われていないことには変わりありませんが…。
精根尽き果て
今回は重盛が視てきた霊が何かと重盛の前に姿を見せていました。
鹿ヶ谷の陰謀で罰せられた西光達を始め、夢で春日大明神によって清盛の首を見せつけられたりと、重盛のメンタルがゴリゴリ削られるような場面が目白押しでしたね。
重盛も相当苛まれており、政治的地位の失墜もあってかなり気落ちしているようでした。
実際、熊野詣をしている場面では清盛が改心せず、清盛一代で平家の栄華が終わるなら没落する平家を見ずにすむように「自分の命を縮めてくれ」と願っていました。
事実、史実の重盛も不運と失敗ばかりが続いた結果「早くタヒにたい」と零したことがあるそうです。
熊野詣の場面で重盛の身体が湧き上がり、フッと消える描写がありましたが、あれは重盛の生きる気力が失われたことを示唆しているのではないでしょうか。
せめて安らかに
まさに「タヒにたい」という願いが叶ってしまったかのように重盛は病に倒れ、みるみるうちに衰弱し…ついに息を引き取ります。
この時、重盛はびわに「滅びゆく平家の一族」に巻き込んだことを詫びていました。
ここから、重盛は既に平家の滅びを受け容れていたことが窺えます。
清盛の暴走を止められず、世の風向きが徐々に向かい風になる中で重盛は平家の滅亡への歩みは止められないと悟っていたのでしょう。
だからこそ熊野詣で平家が落ちぶれる様を見るくらいなら命を縮めてほしいと願ったわけです。
忠と孝の狭間で苦悩し、一族のために懸命にもがくも、結局何も変えられなかった。
それでも、家族やびわを始め多くの人間に慕われた重盛にしては、あまりにも悲しい最期です。
普段は見事な調子で唄い上げている弾き語りも、重盛の場面では伴奏しながら涙を零すだけで、何も語りませんでした。
滅びを受け容れて没した重盛に対し、これから滅びを目の当たりにしていくびわ達がどう立ち回るのか…。
今後はここに注目すべきでしょうね。
その目は引き継がれる
ラストでは重盛が逝った後、びわが彼の目を引き継いだことで霊が視えるようになったことを示唆する場面が描かれました。
これによりびわは「未来(さき)」と「過去(霊)」を見る力の両方を得たわけです。
重盛の力がびわに宿った意義は追々掘り下げていきますが、びわが視る「過去」は重盛のそれとは違う描写がされていました。
重盛がはっきりとした人の形で霊を視ていたのに対し、びわは蛍のような形で霊を視ていました。
また、彼女が視ていたのは重盛と父親という、彼女にとって大切な人だった点も興味深いところです。
少し意訳するならば、重盛が視ていた過去が「過ちや罪」だとしたら、びわの視ていた過去は大切な人が息づく「想い出」ではないでしょうか。
無情な最期を遂げた大切な人が、変わらず自分を見守っていることを知る「想い出」をびわは視ることができる…。
この捉え方なら、彼女が平家物語の弾き語りをする将来に繋げやすくなるんですよね(笑)
まぁびわの過去視がどんなものなのか、まだ描写が少ないのであくまで推論に留めておきましょう。
tips:今様
今作で度々出てくる今様(いまよう)ですが、これは今でいう歌謡曲のようなものです。
今様とは「今風な、現代風な」を意味する言葉であり、当時は後白河法皇を始め多くの愛好家がいました。
今作では今様をやり過ぎて後白河法皇が喉を痛める場面がありますが、これは実際にあったエピソードのようです。
当時の今様の流行りぶりはすごく、貴族はもちろん、庶民でも歌われていました。
おまけに清少納言や紫式部が言及しているなど、その人気は100年以上に渡って続いています。
そんな今様ですが、今更ながら第2話の記事で書いたことを重ねると、色々意味深な感じがしますね。
今作では後白河法皇が今様を「今を映し出す鏡」と表現していましたが、ここに今作における今様の立ち位置があるような気がします。
ただ、作中の描写を見る限り、今様が映し出す「今」は決して現実に即したシビアなものではありません。
今様を唄う描写は大抵楽しげに描かれており、それこそ気晴らし・憂さ晴らしのような感じです。
だとしたら、今作における今様は楽しく過ごしている時を「今」として映し出すものとして描かれているのではないでしょうか。
これだけ書くとただの現実逃避のように聞こえるかもしれませんが、個人的にはそうは感じません。
確かに後白河法皇は鹿ヶ谷の陰謀で多くの近臣を喪い、政治的な実権の大半を削られて凹んでいましたが、資盛や清経、びわと今様を唄う時は元々の明るい彼に戻っていました。
つまり今様は「今」を楽しいものとして映し出すことで、理不尽な現実に抑圧された本来の自身を想起させる装置になっているわけです。
そう考えると、「今様」に対して、作中で挿入される弾き語りは対置できそうな感じがしますね。
楽しい「今」を映し出す今様に対し、弾き語りは平家の業や罪、悲劇といった不条理に満ちた「今」を映し出しています。
そう捉えると、今作は今様と弾き語りという伝統的な音楽を上手く演出に取り入れていることがわかります。
『平家物語』第4話感想
まぁ鹿ヶ谷の陰謀で起こった時点で重盛の最期が近いことは察していましたが…こんなにも早く来るとは…。
あれだけ平家のために奔走しつつ、主と父の狭間で苦悩した挙句、平家の滅亡を受け容れた重盛の最期は悲劇的ですが…。
これがまだ序章に過ぎないと考えると…僕のメンタルもつのか(笑)
さて、平家にとって唯一のブレーキだった重盛が去ったことで、清盛を止める者は誰もいなくなりました。
そして事態はいよいよ源平合戦へ向かっていきます。
いやぁ次回を楽しみにしていいものか(笑)
まぁ心待ちにしましょう(笑)
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