皆々様こんにちは。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女(以下『水星の魔女』)』担当のgatoです。
前回はミオリネがクイン・ハーバーでの惨劇に苦しむ一方、スレッタが仲間達と結束していく姿が描かれました。
しかし宇宙議会連合が本格的に動き出す中、プロスペラがクワイエット・ゼロを起動させ、圧倒的な力を発揮します。
プロスペラを止めるのは誰なのか…。
クライマックスに続く第22話、じっくり振り返りましょう。
目次
戦火を前に
ここでは、来るべき決戦の前のアスティカシア学園の学生達の動きを見てみましょう。
新たな味方
スレッタと共戦う覚悟を決めた地球寮の面々ですが、今回はそこに新たな仲間も加わっています。
アリヤの代わりにヤギ達の世話をすることになった同級生、グエルが心配な余り同行を申し出たフェルシー、そしてセセリアの推薦で仲間になったロウジです。
第20話の記事でアーシアンとスペーシアンが手を取り合う描写があったことを指摘していましたが、よい形で実を結んでいるようですね。
作中では世界の情勢を左右する大人達が徹底していがみ合っている場面が多かったですが、子ども達の方が一足先に分断を乗り越えているようです。
リアルでも若年層の方がいち早く差別を乗り越えるケースがありますし、あながち夢のような話ではありませんが。
ところで、クワイエット・ゼロに興味があったから参加したとはいえ、ロウジの活躍がすごいですね(笑)
元々メカに関してはかなり知識を持っていることをほのめかされてはいましたが、ここまで有能だとは(笑)
極度の人見知りでコミュニケーションが苦手とはいえ、セセリアにくっついていたロウジが仲間達と交流しながら能力を発揮する経験は、得難いものになるのではないでしょうか。
セセリアもそれを見越してロウジを派遣したのかもしれませんね。
4号の果て
冒頭では5号がスレッタに強化人士や4号の行方について明かしている場面がありました。
正直、4号の最期はスレッタに深い傷を残すかと思いましたが…いろいろな経験をして乗り越えたスレッタは涙こそ流したものの、気丈に乗り越えていました。
それはそれでよかったですが…うーん、第16話の記事で4号が復活するんじゃないかみたいなことをいっていた立場としては、これで4号の復活はなくなりそうなので、ちょっと残念ですけども(笑)
生体コードという魂に等しい概念がでてきたら…ねぇ(笑)
命を落としたキャラクターが何らかの形で交信するのは『ガンダム』シリーズの定番ですし(笑)
ところで、このシークエンスでは5号が4号に想いを馳せたり、プロスペラやエリクトを止めると決意したスレッタをうらやましがる描写がありましたね。
第18話の記事で5号もまた「空っぽ」な人間ではないかと指摘しましたが、個人的にはここと絡めるとなかなか面白いと感じられました。
元々5号は「生き残る」以外に目的を持たないキャラクターとして登場していました。
そんな彼にとって、スレッタと出会い、自分を取り戻せたにも関わらず、逃げずに処分を受け入れた4号の生き方は理解しがたいものでしょう。
今でも生き残ることを重視する5号にとって(実際ガンダムに乗ることは今でも拒否している)、やはり4号は理解しがたい人物であるかもしれません。
この点は仕方がないでしょう。
生き残ることをどこまでも重視する5号と違って、4号は恐らくスレッタと出会ったことが何よりも重要だったわけですから。
それに、結末の差異ではなく、そこに至るまでの「ある体験」こそが、5号・4号にとっては大切だったのでしょう。
第14話の記事で持ち出した「みなしご」という概念を持ちこみましたが、これをはめると個人的にはしっくりきます。
孤独を癒すため、あるいは自分の導とするために人は誰しも「誰か」を求めている。
そして5号はノレアと、4号はスレッタと出会った。
だからこそ、悲劇的な別離が待っていても、5号は行きた居場所を目指し、4号は運命を笑顔で受け入れた。
2人も、「誰か」と出会う経験をしたからこそ、自分の人生を生き抜く覚悟ができたんでしょうね。
そんな5号ですが、まだノレアと別れてあまり時間が経っていないため、喪失感が残っていないのでしょうね。
だからこそ、「誰か」とために戦う道を進めるスレッタをうらやましがったのかもしれません。
僕らの決闘
今回はグエルとスレッタがシャアとアムロのようにフェンシングで決闘する(ただし廊下で…)というまさかの展開がありましたね(笑)
この場面ですが、なかなか意義深いものを感じます。
まず、決闘という形式です。
この決闘は、グエルがスレッタにホルダー(花婿)を継承させるという意図(勝つ気でいたんでしょうけど)で行われたものであり、ある種の儀式的ものです。
また、デリングが強いたものとはいえ、決闘はある意味「アスティカシア高等専門学園の学生」であることの証でもあります。
スレッタもグエルも、この決闘を通じて大切な人と出会い、失い、未来を切り開き、全てを失ってきました。
それだけ2人にとって決闘は重大な意味を持つ儀式であり…同時にアスティカシア学園で過ごした日々の象徴であるといえます。
だからこそこの決闘は、どれだけ立場や状況が変わっても、スレッタやグエルがアスティカシア高等学園で築いてきたものや育んできた本質が変わっていないことを示すものと捉えられるでしょう。
そして、個人的には決闘を申し出たグエルの心情にも注目したいところ。
グエルがスレッタに決闘を申し込んだのは、お飾りとはいえミオリネの婚約者であることの意地や、スレッタを巻き込ませないと考えていたミオリネへの義理立てもあるのでしょう。
ただ、個人的には…グエルのスレッタへの未練がこっそり混じっていたのではないかと思っていたりします。
第17話の記事でも触れましたが、グエルはスレッタに真正面から告白して玉砕しています。
もちろんフラれた以上、グエルはスレッタにのことをズルズル引きずるようなことはありません。
しかし、今回はデータストームの負担が発生するキャリバーンに乗り、プロスペラがいるクワイエット・ゼロに突入するという危険極まりないミッションにスレッタを送り込むという状況です。
いくら成長したグエルでも、笑顔で送り出すことは難しいでしょう。
だからあの決闘は、覚悟を決めたスレッタを心配するあまり、無駄とわかりながらも惚れた弱みでグエルが見せた、精一杯の抵抗だったのかもしれません。
実際、後半でグエルはスレッタがガンダムに乗ると決めたことに対して、躊躇いを見せていた様子がありましたからね(自分を引っぱたいて戒めてましたが)。
いつか一緒に地球へ
ここでは久々に再会したスレッタとミオリネを掘り下げていきましょう。
取り戻せないと知ったから
自分の犯した罪の重さや、クワイエット・ゼロの脅威にショックを受けたミオリネは、自責のあまり部屋に引きこもってしまいます。
そんなミオリネに、スレッタはたとえ間違いを犯しても進むことを尊さを説きます。
この時のスレッタのセリフは、前回の記事でも触れた「何も手に入らなくても進むこと」でした。
これについては前回の記事で結構話したので、今回はあまり触れませんが…改めて聞くと、なかなか悪くないスタンスだと思いましたね。
どんな間違いも糧としつつ、次へ次へと進んでいく。
今度こそ一番いいやり方ができるように。
これは外ならぬスレッタ自身の言葉であり、プロスペラの請負ではありません。
「逃げれば一つ、進めば二つ」を実践してきたスレッタですが、このおまじない=呪いを乗り越えたからこそ、この言葉を生み出せたのでしょう。
思えば、ミオリネはところどころでスレッタの「言葉」を知りたがっていたことがありました。
そして今回、ようやくスレッタが自分自身の言葉でミオリネを励ました。
だからこそ、ミオリネはスレッタの言葉を支えにできたのでしょう。
そして何よりも、幾多の間違いを犯してもへこたれなかったからこそ、今のスレッタが、今のミオリネがいる。
この事実以上に、スレッタとミオリネを支えているものはないかもしれません。
自分で行く、自分で開ける
立ち直ったミオリネは「自分で行く、自分で開ける」といって、引きこもっていた部屋から出てスレッタと対面しました。
ボサボサの髪、泣きはらした目と、みじめな恰好でありながらも気丈にスレッタと対面したミオリネでしたが、そんな自分を晒せるほどにスレッタに信頼を置いていることの表れといえます(実際、その後は身だしなみを整えていました)。
また、第11話の記事でミオリネは孤立することもいとわない積極的エゴイストである評しましたが…今回のミオリネは少し違った一面を見せていました。
今回のミオリネは自分の罪の重さに苛み、一人でやることの限界を感じていました。
自分の選択と決意がクイン・ハーバーでの大惨事を招いてしまったわけですから…無理からぬことです。
そんなミオリネがスレッタの言葉と想いを受けて立ち直った際、「いつか一緒に地球へ行って」とスレッタを頼りにしつつ、一人で向き合えるだけ強くないと認めつつも、自分の罪と正面から向き合う姿勢を見せました。
そして「自分で行く、自分で開ける」といいつつも、対面したスレッタの手を握ります。
「自分でやる」とさまざまな物事を積極的に背負おうする姿勢はこれまでと変わりませんが、素直にスレッタに頼れるようになったことは、ミオリネにとって大きな変化といえます。
そもそもミオリネはかつて対立していたデリングのように、大切な人ほど突き放してしまう(大切にしているがために)癖がありました。
しかし、今のミオリネは自分が背負わなければならない罪や呪いがあるとわかりつつも、スレッタを突き放していません。
大切だから遠ざけるのではなく、大切だから一緒に戦う。
かつてデリングができなかった「大切な人と共に進む」を、スレッタは初めて実践しているといえるでしょう。
目覚めた父
後半ではこれまで意識不明だったデリングが目覚め、久しぶりにミオリネと対面しました。
声は出せない状態でしたが、ミオリネの決意を聞いて、どこか納得したような表情を見せていましたね。
シーズン1でのデリングは、ミオリネを完全に子ども扱いして遠ざけていましたが、これは彼女が大切だっただけでなく、まだガンダムなどの呪いやベネリットグループを背負わせられないと判断していたからでしょう。
この辺は第7話の記事でも掘り下げています。
しかし、ミオリネはデリングの前で彼が心配していたことを全て逃げずに背負うと宣言しました。
父親であるデリングからしたら…喜びもあり悲しみもある複雑な心境だったでしょうね。
それに、個人的にはミオリネもうまくメッセージを伝えたと思っています。
ミオリネはデリングが目覚めた喜びや、彼の容態に対する心配よりも、まずベネリットグループやガンダムに関することを口にしていました。
これはつまり、感情的な想いよりも、まず使命や責任といったデリングの人生に最も大きな影響を与えていたものを引き受けると宣言することを優先したといえます。
いうなれば、娘の愛情が詰まった感情的な言葉をかけるよりも、まずは使命や責任の行方を明確にしたわけですね。
一筋縄ではいかないところがデリングとミオリネらしいですが(笑)、デリングを理解していたからこそ、ミオリネはまず責任や使命について触れたのかもしれません。
母の言葉
終盤では、ミオリネが育てていたトマトに関するある秘密が解き明かされていました。
ミオリネにとってトマトは思い出深い、母親の形見でもあるものですが、その遺伝子コードにあるメッセージが隠されていました。
「I will always be attached to you,Miorine」
やや意訳するなら、「私はいつでもあなたを想っているわ、ミオリネ」といったところでしょうか。
あのトマトには、文字通り故人であるノートレットの愛情が詰まっていたわけです。
かつてノートレットはデリングと世界平和のために奔走していましたが、それだけ敵が多い状況でもありました。
あのトマトに秘められたメッセージは、いつ何があってもミオリネに想いを残せるようにするためだったのでしょうね。
そのトマトを頬張ったミオリネは文字通りそのメッセージを受け入れたわけです。
思えば、最初にミオリネが地球へ逃げたがっていた際、デリングへの反発もありつつも、母であるノートレットを恋しがっていたような一面がありました。
しかし、母親の愛情は最も身近なものに存在していた。
まるでどんなに辛い目にあってもミオリネが立ち向かっていけるように、ノートレットが傍にいるような…そんな構図になっているような気がします。
クワイエット・ゼロを突破せよ
今回のエピソードではいよいよプロスペラとの決戦が始まりました。
ここでは決戦前と最中に起こったさまざまな出来事に触れてみましょう。
復讐者のメソッド
前回からクワイエット・ゼロを起動させて大暴れしているプロスペラですが、その戦い方は…なかなか一方的ですね。
データストームを展開し、オーバーライドでパーメットリンクを使用した一切の兵器を無力化、多数のガンドノードによる一方的な攻撃で壊滅させる…。
ヴァナディース事変の意趣返しをするかのような戦い方ですな…。
そんなプロスペラですが、クワイエット・ゼロを完成させるユニットの回収自体はできていなかったようですね。
そのために、終盤ではプラント・クエタへ向かうわけですが…ちょっとばかし行き当たりばったり印象がありますね。
まぁそれだけクワイエット・ゼロの力に自信あるということなんでしょうけど…それも裏を返せば完全にエリクト任せなんだよなあ。
一方で、終盤でエリクトがエアリアルごと外に出ているところを見ると、彼女に何か特別な制約をかけているわけではなさそうなんですよね。
愛娘が自分の手から離れることを全く考えないのは…ちょっとプロスペラらしくない気もします。
まぁ、それだけエリクトに対して盲目的になっているともいえるんでしょうけど。
個人的にはもう一つ隠し玉を持っているような気もするんですよね…。
責任は大人に
クワイエット・ゼロの脅威に対し、ミオリネ達が立てた作戦はスコア5にまで引き上げたガンダム機と、パーメットリンクを解さないコックピットを搭載したMSで突入し、直接クワイエット・ゼロに乗り込むというものでした。
いや、まぁ、主人公サイドらしいバカ正直な作戦ですけど…よくよく考えると結構な無理ゲーですよね(笑)
リアルでいうならコンピューターを無力化できる敵に対して、使用者の命を奪うコンピューターで戦うか、コンピューターなしの人力で戦うかのどっちかで立ち向かうみたいなもんですからね(笑)
そんな作戦にも関わらず、決行するミオリネ達でしたが、そこでケナンジが大人らしい言葉を発していました。
「無理だと判断したらプロスペラに即刻ユニットを引き渡す。責任は大人に取らせなさい」
ミオリネやスレッタ達だからこそプロスペラを止められるという可能性を認めつつ、失敗した時のツケを肩代わりする。
今作においてなかなか見られなかった大人らしい振る舞いでしたね。
かつてのデリングもこれに近いことをしていましたが、そもそも彼は子どもを矢面に立たせるようなことはしませんでした。
だけどケナンジはリスクを承知しつつも、使命と責任を負った子ども達を前に出すことを選んだ。
子どもを信じられるという点において、ケナンジはデリングよりもよい大人なのかもしれませんね。
咎人の結託
後半ではミオリネがシャディクに取引を持ち掛ける場面もありましたね。
罪を負ったからこそ終わりにせず、償えなくても進む…。
これだけでもミオリネの成長と決意が感じられますが、個人的に印象的だったのが、シャディクに対して「私を信じなさい」といったところです。
第9話の記事でシャディクがミオリネを愛しつつも、彼女を信じられないでいるという点を指摘しましたが、ここに見事にはまるんですよねぇ。
思えば、シャディクが自分の野望に一切にミオリネを巻き込まなかったのは、彼女を危険な目に遭わせたくないだけでなく、彼女が仲間となってくれるか信じきれなかった一面があったかもしれません。
実際のところ、ミオリネは地球寮の面々のために力を貸していたから、苛烈なやり方でなければ地球を復興させたいシャディクの望みに手を貸した可能性はあったと考えられます。
しかし、それでもシャディクがミオリネを信じきれなかったのは、直情的で堂々としたやり方を選ぶミオリネの気質に倣えなかったからでしょう。
これはシャディクがグエルを嫌う感情に近いものがありますね。
ただ、その気質自体をシャディクは完全に否定しているわけではありません(だからこそ、似た気質のグエルにミオリネを託した)。
というか、何よりもスペーシアンに頼らずに地球を復興させたいというシャディクの望み自体が、非常に真っすぐで青臭い理想なんですけどね。
やや話が脱線しましたが、青臭い理想を掲げつつも非情で卑劣な手段しか取れなかったシャディクにとって、同じ過酷な現実を体験しつつも、理想も自分らしさも失わなかったミオリネは眩しく見えたでしょう。
シャディクもやっとミオリネを信じる気になれるでしょうね。
ところで、ミオリネの持ち出した取引はなんでしょうかね。
シャディク復活のフラグでもあるようですけど…個人的にはシャディク達だけじゃなくて、フォルドの夜明けも絡みそうな印象もあります。
いずれにせよ、ミオリネが目論んでいるのは「アーシアンによる世界の危機の回避」ではないでしょうか。
クワイエット・ゼロが暴れ回っていることにより、アーシアンではなく、スペーシアンの権威の象徴であるベネリットグループも責任を負う事態となっています。
しかし、ここでアーシアンやスペーシアンと協力して事態を打開するという物語を作れば、これまでの分断が多少なりとも緩和される可能性が高まります。
だからこそ、ミオリネは対スペーシアンを掲げるアーシアンの象徴であるシャディクと手を取り合おうとしているのではないでしょうか。
キャリバーン起動
終盤ではハードな起動テストを乗り越え、スレッタがついにキャリバーンを起動させました。
あの起動テストを見る限り、スレッタのデータストームへの耐性はソフィやノレア、4号・5号とあまり変わらないようですね。
裏を返すと、それだけエリクトが化け物であることを意味していますが…。
それにしてもこのキャリバーン、フィルターを失くすことで高度なパーメットスコアを維持しつつ、スラスター付きのビームランチャーで火力と推進力を補いながら敵陣を一点突破するような…完全に特攻用の機体にしか見えないんですよね(笑)
ただでさえ乗り手を選ぶなのに、機体のクセが強過ぎる…。
ガンビットを使いこなすエアリアルと真正面から戦っても勝てる気がしませんが…そこは次回に期待しましょう。
ところで、キャリバーンの白と赤の配色がされているところ、個人的には『PROLOGUE』に搭乗するルブリスを連想させましたね。
開発初期の機体であるルブリスに似た機体が最終局面でGUND技術の極北に達したエアリアルと対峙している様は…GUND技術を巡るさまざまな呪いの物語が分水嶺を迎えているように感じさせます。
逆襲のラウダ
多くの視聴者が危惧した通り…ついにラウダが最悪な形で反旗を翻しました。
ジェターク社が有していたガンダムであるシュヴァルゼッテを駆り、ミオリネを真正面から狙いにいきます。
クワイエット・ゼロが暴れ回っている状況で反旗を翻す辺り、今のラウダは完全に感情のままに暴れ回っている状態なんでしょうね。
まぁここ最近のラウダは状況に振り回されまくった挙句、恋人のペトラが危篤状態になってしまいましたからね。
もう限界点を迎えていたのでしょう。
ラウダがミオリネを憎む理由は前回の記事でも推察しましたが、彼を見ていると「置いていかれた者」の怒りがあるように感じられます。
何もなければ大切な人がずっと傍にいたラウダにとって、全てを巻き込んで世界を動かしていくミオリネは憎むべき対象になるのでしょうね。
みなしごは再び
さて、最後に今回のエピソードを総括しましょう。
今回はスレッタとミオリネの再会やミオリネの復活など、さまざまな要素が盛り沢山でしたが、個人的には先述したような「みなしご」と「誰か」にまつわるエピソードだったと感じました。
ミオリネと出会えたからこそ進むとスレッタが決意できたように、ミオリネやグエルもまたスレッタと出会えたからこそ進もうと決意できた(シャディクはミオリネと出会えたからこそ信じた)。
家族と不和を起こし、罪を背負って孤立し、世界から弾かれた「みなしご」達にとって、自分と手を取り合ってくれる「誰か」の存在は希望であり、支えになるものです。
他方で、何らかの理由で「誰か」を失い、惑っている者達の姿も描かれました。
それが5号であり、ラウダなのでしょう。
そう考えると、この先の物語は「誰か」を失って「みなしご」になってしまった者達や、「誰か」を失った悲しみを引きずり続ける者達と、スレッタ達がどのように向き合うかがポイントになりそうですね。
『水星の魔女』第22話感想
いやー、いささか駆け足ではありましたが、いろいろな要素が詰まった第22話でした。
スレッタとミオリネの仲直りはもちろん、一緒に戦う決意をした地球寮の面々の今後にも目が離せないですね。
特にマルタンは大丈夫なのだろうか(笑)
そしてやはり暴走したラウダの行方も気になるところ。
正直、グエルはまだ完全に成長しきっていないところがあるので、このラウダとの衝突が彼にどう影響するかが気になるところです。
何はともあれ、次回もまた大きな動きがありそうですね…期待しましょう。
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