こんにちは。くらむBONです。
「ひぐらしのなく頃に卒」アニメ「神楽し編・其の三」を振り返りながら考察しますので、ネタバレを踏みたくない方はご注意下さい。
「神楽し編・其の三」では前半パートで梨花と沙都子のバトルループがあり、後半パートでは奇跡を願う羽入とエウアのバトルが開始されました。
謎解きストーリーはもう必要ないので、今回はアニメとして動きを見せる方へ振り切った演出で決着まで持っていくのでしょう。
今回のキーワードは「雛見沢補完計画」です。
では、雛見沢の戦いについて解説しつつ、考察していきましょう。
目次
シン:オヤシロゲリヲン
過去記事で考察していたバトル展開へと突入してしまったので、「来ちゃったかー。」という印象だった「神楽し編・其の三」の演出の元ネタがガンダムではなくシン:エヴァで草。
過去記事で考察したバトル展開は「11話考察:こんな神楽し編はイヤだ!」で考察しています。
前半パートで庵野秀明監督の演出を持ってきているところは、リスペクトなオマージュが光る回で、後半のバトルのカッコよさが頭に入ってこないので困惑。
分校屋上での梨花と沙都子の争いは「罪滅し編」のレナと圭一のバトルは旧作リスペクト感もあるのですが、パロデイ的な要素が多すぎておなかいっぱいです。
「神楽し編・其の三」前半パートで梨花と沙都子が争う様子は他にも既視感を覚える作品があります。
永遠に美しく繰り返す者
「永遠に美しく(1992)」はロバート・ゼメキス監督の不死の秘薬を飲んだ女性の争いを描いた作品で、美しさという妄執に囚われ4ぬことが出来ない彼女たちを描いたブラックコメディです。
梨花と沙都子も「繰り返す者」として4ぬことが出来ないので、「ひぐらしのなく頃に卒」の決着先に名作洋画テイストが見えてしまうところは、予想できませんでした。
「永遠に美しく」も面白いので未視聴の方はオススメです。
奇跡を願う羽入と傍観者エウア
拘束を解いた羽入はエウアを止めようとして、飛び掛かりましたが、かわされてしまいました。
エウアは傍観者として雛見沢には介入してこなかったものの、羽入の本体としての強者感を匂わせています。
ここから、同じ精神体同士の戦いへと発展しそうでも、本体相手にこのまま戦っても羽入に勝ち目はない模様。
ここから羽入が勝つには、おそらく鬼狩柳桜が必要です。
オヤシロ梨花は、羽入のいる上位世界の事はわからないので、梨花と和解してラブ落ちした沙都子が案内することになると予想します。
羽入とエウアの過去の背景や設定はどうなる?
羽入とエウアの過去の背景や設定は明かされるのでしょうか?
羽入とエウアについては梨花と沙都子の争いの決着がついたとして、エンディングまでに話がたためない空気で、あったとしても続編になりそうな雰囲気。
円盤が売れない昨今のアニメ業界では、興行収入が得られる劇場公開で短編続編が制作されるビジネスモデルが生まれつつあるので、「ひぐらしのなく頃に零」とか劇場公開されたら面白いと思います。
「このすば」などがいい例ですね。
雛見沢補完計画
沙都子は梨花の「ビッグバンから作り直し」発言を聞いて、憑き物が落ちたかのように梨花に56される事を覚悟しています。
梨花の「聖ルチーア」への夢と、沙都子の「梨花と雛見沢で暮らす」は今のところ平行線ですが、お互いに必要な存在として認識できているよう。
梨花の目的は沙都子を56スことでは無く、沙都子は梨花が消滅したら意味が無いので、どちらかを滅ぼす選択肢はありません。
そんな梨花と沙都子の欠けた想いを補完する「雛見沢補完計画」なエンディングについて幾つか考えてみましよう。
・沙都子が罪滅ぼしとして「聖ルチーア」で生活できるようにするために、100年かけて梨花が家庭教師をするお勉強エンド。「ひぐらしのなく頃に獄」
・時間と空間を2人で永遠に旅する「繰り返す者」カップルとして、未来永劫にカケラ世界を渡り歩く存在となる。「ひぐらしのなく頃に永」
・梨花と沙都子のATフィールドが崩壊して一つの存在となり、光の巨人が登場して雛見沢に罪のない新世界を創造する。「シン:ひぐらしのなく頃に」
・梨花と沙都子は入江所長コレクションのメイド服をまとい、スタンド「メイド・イン・ヘブン」を発動して加速していき、宇宙が一周して全てがリセットされた世界となる。「ひぐらしのなく頃に・SO」
「雛見沢補完計画」の予想はなかなか難しいものがあるようです。
ひぐらしのなく頃に卒14話感想まとめ
謎や伏線は置き去りにしたまま、梨花と沙都子の関係に焦点を当ててきた「神楽し編・其の三」は、パロディ路線ぽさが出てしまってビミョーな演出。
梨花と沙都子の痴話ケンカは「もう付き合っちゃえよ」と単純に思ってしまいました。
お互いを必要だと感じている2人がオヤシロ様の衣装に身を包んでバトルしていたパートは可愛かったので、オヤシロ梨花とオヤシロ沙都子は人気となりそうです。
この話で面白かったのは梨花のセリフ「あんたが勉強すれば済む話でしょ」で、おそらく視聴者誰もが「ンンンンンン!まさに!正論!」となった事でしょう。
次回が最終回となるのではと囁かれている「ひぐらしのなく頃に卒」がどうやって梨花と沙都子の思いを補完するエンディングになるのかが気になります。
前項でも書いていたTV版エヴァンゲリオンがあのエンディングで劇場版が生まれたように、アニメ界の事情は違うにせよ、歴史は繰り返していくのでしょうか。
「おめでとう」エンディングから完結まで25年待つ体験は一度でいいかな。
ではまた次回で。
ばいばい。
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コメント
正直、羽入とエウアの対決って蛇足感があるんですよね
エウアの立ち位置って、ほぼデスノートのリュークなので、倒す必要性があるかもわかりませんし
梨花と沙都子が和解したら、それで解決なんじゃないかと
(平和に暮らしてれば死に戻りとか必要ないわけですし)
梨花も梨花でなんでルーチアに拘ってるのかがよくわかんないんですよね
都会の学校はルチーアだけじゃないし、沙都子と一緒にいたいなら沙都子の身の丈に合った学校を選んであげればいいのに
結局のところ梨花も沙都子も相手の都合を無視して自分の気持ちを押しつけ合ってるのは同じだったように思います
(部活メンバーや無関係の人たちを巻き込んだ沙都子の方が、より悪質ですが)
そもそも圭一、レナ、魅音は互いに依存することなく、卒業後はそれぞれの道を行き、時々集まって楽しむという健全な関係な訳で、梨花と沙都子もお互いから「卒業」した方がいいと気がします
名無し1号さん。
いつもコメントありがとうございます。
これは追儺の儀式なんじゃないでしょうか。いわゆる「鬼は外」ですね。羽入が人の世のすべての罪を背負わなければならなかったように、沙都子の罪を背負わせるエウアという人ならざる者の存在が必要なのかなと考えて見たり。
>正直、羽入とエウアの対決って蛇足感があるんですよね
梨花と沙都子が和解したら、それで解決なんじゃないかと
2人とも共依存状態だったことは作品を見ていればわかりますが、「業」にまみれた関係性から「卒」する物語なのかなと今にして考えています。
10月から開始される漫画版が「巡」らしいので、何を巡る物語か気になるところです。「業」を「巡」るドグラマグラにならないといいのですがw。
>結局のところ梨花も沙都子も相手の都合を無視して自分の気持ちを押しつけ合ってるのは同じだったように思います
(部活メンバーや無関係の人たちを巻き込んだ沙都子の方が、より悪質ですが)
そもそも圭一、レナ、魅音は互いに依存することなく、卒業後はそれぞれの道を行き、時々集まって楽しむという健全な関係な訳で、梨花と沙都子もお互いから「卒業」した方がいいと気がします
では。
時期的に、シンエヴァよりひぐらし卒のが先ですね。書くならひぐらし卒のオマージュをシンエヴァがやったと書くべきじゃ
そもそも、お互い非公開な中で似てただけだろうから、それすら違うだろうけど
ひぐらしとかをパクリとか中傷するなら、撤回して同じ論理で正しくパクリに当たる方をパクリと流すべきかと
あと、竜騎士作品特有のノリとか魔法バトルとかはいつものことだから、嗜んでるならわかるやつすね
-さんコメントありがとうございます。
なるほどです。
私は完全オリジナルな創作物などありえないと考えていて、パクリとオマージュとパロディは別だと認識しています。
「パクリ」という言葉は嫌いなので使っておらず、「オマージュとパロディ」は使っているので区別しています。
>ひぐらしとかをパクリとか
「視聴者自身のいかなる考察や解釈でも受け入れる文化」の代表が「ひぐらし」作品なのでしょう。
私は結末の多様性という概念を形にした作品が「ひぐらし」であり、竜騎士07先生がその覚悟を持って創作している作家だと思っています。
私はミステリー作品の論評をしているのではなく、アニメファンとして考察した上で「ひぐらし」を楽しんでいますよ。
ぶっちゃけ「竜騎士作品特有のノリとか魔法バトル」は大好物です。
>竜騎士作品特有のノリとか魔法バトル
では。
多分梨花と沙都子が別の道(あるいは出会わないor出会う前のカケラ)を行くよくある終わり方(個人的にはペルソナエンドと呼称)になるんだとは思いますが、何でもかんでも別にすればよい独り立ちすればいい離れていても心は一緒的なものを推す風潮には個人的に違和感がある。
田舎の人間関係なんて一生近所で生活して死ぬまで友達でいることも珍しくはないし、依存関係も絶対的に悪ではないし、いっそパートナーとして一生を共にしたっていい、関係を修復し先は受け手それぞれの想像にゆだねる終わりで良いと思う。
REDさん。
コメントありがとうございます。
なるほど。そういう解釈もあるのですね。参考になります。
>離れていても心は一緒的なものを推す風潮には個人的に違和感がある。
こちら近所の山にクマや、カモシカが生息している田舎暮らし(興宮ぐらいw)なのでよくわかります。
どういう結末であれ、梨花や沙都子たちが幸せであればいいと思います。
>田舎の人間関係なんて一生近所で生活して死ぬまで友達でいることも珍しくはない