皆々様こんにちは。
『攻殻機動隊SAC_2045(以下『攻殻2045』)担当のgatoです。
前編はあらすじと用語解説をしてきましたが、後編はシナリオの解説をメインに、ポスト・ヒューマンやNについての総括もやっていけたらと思います。
▼前編はこちら
というか、正直『攻殻2045』は僕もあんまり読み切れていないところはあるし、『1984』の引用もメチャクチャかもしれないので、正直おっかなびっくりで書いています…。
その辺りも踏まえて、生温かい目で見守っていただけると幸いです。
1984と1A84
最初に『攻殻2045』の世界観について総括しましょう。
今作の一連の騒動はG4(アメリカ・中国・EU・ロシア)が互いが「ウィンウィン」になることを目的に経済行為としての戦争であるサスティナブル・ウォー(持続可能戦争)に端を発しています。
この状況ですが、実は『1984』の世界観と酷似していることが窺えます。
『1984』はビッグブラザーが治めるオセアニアとイースタシア・ユーラシアの三勢力が互いに戦争をしあっていますが、これは富と労働力を浪費することで反政府勢力を抑制し、互いの支配体制を維持するためのゼロサムゲームのようなものであり、「永久戦争」とも呼ばれていました。
この点はそのまんま『攻殻2045』と重なりますね。
しかし、決定的に違うのはサスティナブル・ウォーを引き起こしたAIの1A84がアメリカの要求に応えるために世界同時デフォルトを引き起こした挙句、NSAによる凍結を免れるために逃走し、自身のミームをばら撒くことでポスト・ヒューマンを生み出した点です。
G4がサスティナブル・ウォーを利用して自分達の利益を享受しようとするやり口は非常に『1984』的な方法であり、ある意味彼らこそ(特にアメリカ)がビッグブラザーといえるでしょう。
しかし、そんな彼ら、特にアメリカに利用された1A84は「人類の恒久的繁栄」を目的としており、富のバランスや弱者を重視するなど、考え方は全く『1984』的ではありません。
そして1A84によって産み出されたポスト・ヒューマンは既存の社会構造の転倒を目的に様々な事件を引き起こした結果、ついにタカシによって人類は(一度は)敗北を迎えてしまいます。
つまり『1984』を下敷きにしている『攻殻2045』は『1984』的な社会構造の崩壊と支配者としてのビッグブラザーの敗北を描いている物語と総括できるでしょう。
おまけに皮肉なのは前編の記事でも記載したように、タカシが『1984』的な方法を転倒してNを生み出して人類を敗北に導いたという点です。
『1984』的な社会構造を作り上げた勢力が『1984』的な方法で敗北させられる…いささか痛快な趣もありますね。
そしてこれを念頭に置くと、個人的に『1A84』のAは「Another」を意味しているような気がします。
『1984』的な方法を転倒することで構成されたもう一つの『1984』的世界…みたいな。
まぁ『1984』的な方法の結果、つまり「答え」としての『1984』的世界という意味で「Answer」でも収まりは良さそうですけど(笑)
ポスト・ヒューマン
ここでは今作において終始少佐達に立ちはだかったポスト・ヒューマンについて総括しましょう。
ポスト・ヒューマンは1A84のミームをインストールした人間の突然変異体でした。
前の記事でも書きましたが、ジョン・スミスは彼らの目的を「既存の社会構造の転倒」と評していました。
ただ、1A84の話を踏まえると、ポスト・ヒューマンの目的は1A84が最初に与えられた「人類の恒久的繁栄」と捉えるのがベターでしょう。
作中の世界は既存の社会構造によって人類の恒久的繁栄が妨げられているから、結果的に社会構造の転倒につながった…という具合でしょうか。
そう考えると、人類を片っ端からNにするタカシの戦略は既存の社会構造の転倒から外れている印象を持つかもしれませんが、ある意味彼が一番鮮やかな手口だったのではないでしょうか。
だって社会の参画者たる人類の意識を現実から切り離せば、それだけで社会構造がひっくり返り得るわけですからね。
Nたる者
さて、いよいよ今作において最も重要なキーワードである「N」を総括してみましょう。
作中においてNは基本的に人を示すものとして扱われていますが、ノダは列車が向かう目的地に「N」を使っており、シンジョーは「Nが完結するまで無駄なアピールをするな」とNを行為のように使っています。
ここら辺が少しややこしいですが、前回の記事を踏まえながらどうにか解釈してみましょう。
プリンはNを「現実とは摩擦のないもう一つの現実を同時に生き続ける」存在、ダブルシンク=解脱ができる存在と語っています。
ダブルシンク自体はタカシが作った郷愁ウイルスで発現していたようですが、ここにミニラブや101号室を加えることで、より着実に自己と現実の切断ができるようにしていったのでしょう。
ただ、作中ではダブルシンクができる者=Nと断定している感じでもなさそうです。
プリンは「結構な前からダブルシンクができる人が増え始めていた」と説明していますが、その際彼らをNと呼んでいません。
となると、Nになる要素はもう一つ要素が必要なのでしょう。
個人的にそれはNネットだと思っています。
実際、Nはタカシのフィルタリングによってオフラインになっている東京の中でもNネットでつながっており、恐らくそれを通じてビッグブラザー=タカシが撃たれたことを察知しています。
また、思考警察・ミニラブ・101号室といった諸要素も彼らのネットワークに組み込まれている存在=Nネットの一部と捉えることもできるでしょう。
となると、Nはダブルシンクできる個人+Nネットの総体であり、個人であると同時に集合体を指すワードとして定義できそうです(まさにスタンド・アローン・コンプレックス!)
後、ここまできたらNが何を意味する略称なのかを推測してみましょう。
「N」という略称を用いていることから、個人的にNは複数の単語を統合したものだと捉えています。
作中の台詞も拾いながら単語を並べるなら…。
まず一つ目は恐らく大方の視聴者が予想している「Nostalgia=ノスタルジア」でしょう。
「郷愁」という言葉や、ノスタルジアの代表例である「母親」や「夕焼け」といったモチーフが作中に何度も登場していますし、少佐自身も口にしています。
何よりNになる過程で「思い出」が重要になることから、Nにおいて重要な「自己」を構築する要素としてノスタルジアは外せないでしょう。
ちなみに少佐がノスタルジアと並べて口にしていた「バーンアウトシンドローム」は社会適応ができなくなるレベルの燃え尽き症候群を指し、「ミッドエイジクライシス」は中年の危機とも呼ばれる中高年が経験するアイデンティティや自己肯定感の変化を意味します。
つまり、それぞれが自己の揺らぎを意味する言葉であり、それらの解決策としてノスタルジアが提示されている…と解釈できるわけです。
そして二つ目がプリンが口にした「Net=ネット」。
正直これだと「Nネット=Netネット」で意味が被るので微妙な感じはしますが…。
ただ、前述したようにN、ひいてはポスト・ヒューマンにおいてネットはやはり欠かせない要素ですし、Nという集合体を構成するうえでネットは必然的に発生するので、これも該当するとみていいでしょう。
そして三つ目は「Nomad=ノマド」です。
作中では台詞としては出てきていないですが、実は字幕で見ると、1stシーズンで出てきたレイディスト達が「ノマド」と名付けられていることがわかります。
だから入れてみた…というわけではありませんが、存外ダブルシンクと重なるものがあるんですよね。
ノマドとは遊牧民を指す言葉ですが、これをモチーフにしたノマディズムという思想があるそうです。
ノマディズムは社会や集団で与えられる地位・役割を否定し、中心的な権力から逃げ続ける生き方を意味します。
これをちょっと意訳すると、「強権的なシステムを回避し、絶えず移動しながら自己の在り方を一貫する」という風に取れます。
こうすると、現実と異なる別の現実に生きることを選んだダブルシンクがノマディズムと重なりそうな気がしますよね。
まとめるなら、Nはノスタルジアによって自己に回帰し、ネットによって複合体的側面を持ち、そしてノマドとしてダブルシンクを通じてもう一つの現実に生きていく…そんな存在と捉えられるわけです。
江崎プリンの帰還
プリンの特異性
ここでは今作の主要人物である江崎プリンについて総括してみましょう。
まずはプリンがポスト・ヒューマンとして異質だった点を掘り下げてみましょう。
プリンはポスト・ヒューマンとして覚醒していましたが、その発症パターンは違っていました。
何より他のポスト・ヒューマンに見られた人間性の喪失がほとんど見られておらず、既存の社会構造の転倒のための行動もしていません。
なぜ彼女がこうも異質なのか…その理由は正直全然わからないんですが(笑)、推測するなら二つの要素がポイントだと思っています。
一つ目は彼女が実質的に過去を消しているということ。
彼女はマルコ・アモレッティの事件で証人保護プログラムを受けており、その際に過去の経歴を消して名前を変えています(昔は笹山という姓のようですね)。
それから彼女は江崎プリンとして生きていますが、この「プリン」という名前はバトーがプリンをくれた体験に由来していることは間違いないでしょう。
また、彼女は「バトーのように苦しんでいる人にプリンをあげらえる人になりたい」と語っていることから、この名前が彼女のアイデンティティーを形づくっていることが窺えます。
つまりプリンはマルコの事件を通じて、アイデンティティーの大きな転換点を迎えているわけです。
これを踏まえて、個人的に二つ目の重要なポイントとして挙げたいのが「少佐がNにならなかった理由」です。
タカシは少佐が「まれに見るロマンチストであり、夢と現実の違いがほとんどない」ためにダブルシンクを持たなかったと語っていますが、これはプリンにも同じことがいえるのではないでしょうか。
つまり夢である公安9課所属を実現したプリンは夢と現実が同化していると解釈できるわけです。
この点は空挺部隊になれなかったタカシと比較するとわかりやすくなりそうです。
タカシが空挺部隊になるためにポスト・ヒューマンとなった際に人間性を大きく転換させた(もちろん根本は喪っていませんが)のに対し、そもそもプリンは「プリンをあげる人」と同じ立場に立っており、夢と現実がいい意味で同化していたからこそ人間性の大きな転換が発生しなかった…と捉えられるわけです。
少佐の後継者
さきほどはプリンと他のポスト・ヒューマンの違いを書いていましたが、前述した感じだと、プリンが公安9課を裏切ってタカシの味方になったことと矛盾が生じてしまいます。
ただ、プリンが少佐の後継者であり、彼女と最もパーソナリティが近い人物であると捉えると、この矛盾は解消され得る気がします。
いささか突拍子のない捉え方だとは思いますが、プリンのように(擬似記憶とはいえ)高度なAIと同化した人物を彼女以外に挙げるなら、その筆頭は『攻殻機動隊』シリーズにおける原作・押井版で人形使いと同化した少佐でしょう。
実際、押井版の少佐は自己への疑念があるために自己であり続けることに制約を感じていたキャラクターであり、人形使いの説得があったとはいえ、最終的に自ら同化を受け入れていれるなど、上位構造にシフトすることにあまり抵抗感を持たない人物でした(やっぱりロマンチスト!)。
もちろんプロセスが全く同じというわけではありませんが、プリンもまた同じようなルートを辿っているからこそ、新たな上位構造に移行しようとするタカシに共鳴したのではないでしょうか。
また、プリンは一度命を落として擬似記憶を持つAIとして復活したためにゴーストがないとされていましたが、個人的に彼女は「ゴーストから解放された存在」になったと意訳したいところです。
そっちの方が人形使いと同化した後の少佐とも重ねやすいですしね。
何はともあれ、以上のことからプリンの立ち回りは新たな少佐の誕生とも捉え得るものであり、押井版の少佐のように公安9課であることすら離れて自分の信念を貫けるパーソナリティをプリンが持っていたからこそ、彼女の行動には矛盾がないといえるわけです。
とはいえ、少佐と違ってプリンは公安9課であることにこだわりは持っていたため、結局その選択を後悔していたようですが…。
詳しくは後述しますが、だからこそダブルシンクで産まれたもう一つの現実で彼女は公安9課に戻ることを選んだのでしょう。
ここはプリンが未熟であることに起因するのでしょうが、それこそ何やかやんでバトーの元に現れる押井版の少佐のような感じもしますね。
いずれにせよ、今作におけるプリンは「草薙素子の変異体」というような捉え方をしてみると面白いと思います。
これからの草薙素子
さて、最後は草薙素子こと少佐を掘り下げつつ、今作の統括をしたいと思います。
ラストで少佐はタカシが接続したコードを手にかけていますが、実際は引き抜かなかったと考えるべきでしょう。
でないとプリンが公安9課に戻ったことや、彼女のことを誰も覚えていない(バトーは違和感覚えていそうですけど)理由の説明がつかないですからね。
恐らく自罰として公安9課に戻らず、少佐と同じような道を選んだプリンへの恩情として、少佐は「プリンが公安9課に所属する現実」を残しておいたのでしょうね。
ここには少佐なりのプリンの優しさもあったのでしょうけど、彼女としてもダブルシンクの必要性を認めていたのでしょうね。
実際、タカシの考えを明確に否定していなかったですし。
そしてラストでバトーと対話した後に旅立つ場面を見ると、プリンが公安9課に所属した現実(ダブルシンクで産み出された現実)から本来の現実に帰還したと捉えることができるでしょう。
これは同時に、少佐はダブルシンクによって人の数だが現実が生まれた世界の中で、唯一それぞれの現実を自由に行き来できる存在になったと捉えられる感じもしますね。
ところで、個人的に今作は伊藤計劃の「Harmony」に近い印象を持ちました。
ある意味、『攻殻2045』の結末は少佐を含めた公安9課が完全に相手に敗れ、世界や人類が劇的に変化してしまったものといえます。
それに結末も「厳しい現実を生きるには自己を現実逃避させるしかない」といった感じで、ディストピア的な印象は拭えません(人によってはプリンのように希望を見出すかもしれませんが)。
ただ、今作は本来なら独裁者による残酷な支配が描かれた『1984』の要素を、支配からの解放する術として上手く転倒していました。
端的にいうなら「支配的な独裁者になり得る存在が大衆に力を与え、考えを承認し、そしてその存在が支配者にならなければ世界は解放される」といった感じです。
この点は非常に興味深いところですし、いささか尖った方法とはいえダブルシンクを通じて「人が自分らしくいられることを守る術」が実現したという意味では、この作品はハッピーエンドを迎えたといえなくはない気もします(『マトリックス』みたいな世界観になっていないところは救いですね)。
いずれにせよ、今作において描いた「2045=シンギュラリティ=技術的特異点」は「現実の多層化」といったところでしょうかね。
未回収の伏線&続編の可能性
未回収の伏線…というか、説明されていない事柄は結構ありましたが…まぁいいんじゃないかな(笑)
その辺りはフワフワしたままにしておく方がいい感じがします(笑)
続編に関してはどうでしょうかね。
『攻殻機動隊』自体、人気のコンテンツなので続編が作られる可能性は高いと思います。
ただ、『S.A.C』の続編が出るかは微妙なところですね。
今作のオチを見る限り、バトー達はまだダブルシンクに囚われているようですが、それを片っ端から解放する…というのも安直な気もしますし。
やるなら『ARISE』のように新しく再構築した『攻殻機動隊』ではないでしょうかね。
『攻殻2045』感想
いやーしんどかった(笑)
まさか2ndシーズンでここまでややこしくなるとは思っていなかった…。
正直自分が整理するためのメモ代わりで書いていたところもあるので、結構わかりづらい感じになっているかと思います…。
その辺りをご理解いただいたうえで、生温かい目で読んでいただければ…(笑)
ひとまず『攻殻2045』はこれで終わり!
今後手を加えることもあるかもしれませんが…。
ひとまずここでお別れしたいと思います。
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コメント
1A84のAは、16進数だと9の次がAであることから来ているような気がしました
Gamさんコメントありがとうございます!
その手の知識には疎いですが、16進数を絡める解釈は面白いです。
だとしたらシンプルに「『1984』の次にくるもの」という捉え方もあり得そうですね。
1984は1944年にテーマが作られて1949に出版されているので
丁度、2045に1A84(2084)起こる予言のようなものだったはずが
シンギュラリティよってそれが凄い速度で加速して、すぐにその予言が起こってしまった
みたいなエッセンスなのではと思いました
考察の余地がまだまだあって、楽しめる感想・考察・解説でした、ありがとうございます
entanglementさんコメントありがとうございます!
>シンギュラリティよってそれが凄い速度で加速して、すぐにその予言が起こってしまったみたいなエッセンスなのではと思いました
正直攻殻機動隊にシンギュラリティを絡めるのは今更感が否めなかったのですが、1984を絡めたことで筋が通った印象がありましたね。
entanglementさんの仰るように、今作は技術発展に伴い、人間の思惑を超えて物事が急展開してしまった様を描いているかと思います。
>考察の余地がまだまだあって、楽しめる感想・考察・解説でした、ありがとうございます
余地があるというか、穴だらけの記事になってしまった反省の方が強いですが(笑)
何はともあれ、楽しめていただけたのなら幸いです!
ダブルシンクというの感覚で理解ができないんですが、『現実』ではハーモニーのような自明の行動しつつ、ストレスにつながる情報は『自分の現実』のほうで都合のいい別の情報として享受するような感じでしょうか?スミスもちょっと変な挙動してから何事もなかったかのような物腰になっていましたし。
それでも回っていく社会とその構成要素の人類がNということですかね。
そして現実と自分の現実(理想)の乖離がかぎりなく少ない少佐がダブルシンク現実の9課にプリンを加入させ、おそらく現実のプリンはその『少佐の現実』に同期することで彼女もまたダブルシンクができる存在として生きていくことができる、と。
であるなら、自分由来のパーツの有無で人間かどうかを区別しないことであったり、事実上高度AI搭載アンドロイドであるプリンの精神を気遣えるところは少佐の人情が見えて素敵ですね。
あと、少佐の入っていたカプセルはダブルシンクを持たない少佐への特別処置ではなく、東京のみんな一度入った後に解放されているということでしょうか?他メンバーもダブルシンク状態で現実(カプセル外)で活動しているということですかね。
「少佐はダブルシンクによって人の数だが現実が生まれた世界の中で、唯一それぞれの現実を自由に行き来できる存在になったと捉えられる感じもします」という部分の解釈にとても感銘をうけました。他人から見れば押井版の情報生命体のような状態なんですね。守護天使じみた芸当もできそうです。
この解釈なら「攻殻機動隊マルチバース」みたいな話なので同人から公式のスピンオフ、4コマ漫画まで『私のダブルシンクです』とつけるだけでまるで正史みたいな扱いができてしまいますね。攻殻機動隊を楽しむファンとして良いエッセンスを分けてもらったようで、この記事に出合えてよかったと思います。
コメントでの考察も面白いですね。16進数と絡めているのは『すべてがFになる』のネタですかね。
ここの考察でメタではあるものの別の角度の見かたが生まれたので個人的にはすべてがNになったかんじです。プリンとほかのポストヒューマンのふるまいの違いがどこから来るのかわかっていなかったのでこの記事読んで腑に落ちました。ありがとうございました。
kohanaさんコメントありがとうございます!
>『現実』ではハーモニーのような自明の行動しつつ、ストレスにつながる情報は『自分の現実』のほうで都合のいい別の情報として享受するような感じでしょうか?
これはちょっと私の記事の書き方が悪かったですね…すいません。
私が『Harmony』と比較したのはどちらかというと今作のオチのテイストの部分であり、原理の比較はしていないつもりでした。
もしダブルシンクの原理を他作品と比べるなら、『正解するカド』に出てくるサンサですかね。
個人的にこのサンサを僕は「思考の並行化」と捉えていますが、ダブルシンクは同じように認知する現実を並行化するものではないかと思っています。
ただ、ダブルシンクをした結果、表の現実に出てくるのは恐らく虚無的な自己でしょうから、『Harmony』のラストと同じようなものといえば同じですが…。
『Harmony』は意志を持つこと自体をやめているのに対し、ダブルシンクはむしろ意志を守ることを重視しているので、この点で対照的だと感じています。
>それでも回っていく社会とその構成要素の人類がNということですかね。
もう少しひねった言い方をするなら、Nはダブルシンクを通じて守りたい「自己」と「世界」がセットになっている存在ですかね。
つまり個人と社会という二元論を超越し、ある意味では自己と世界の一体化に成功した存在…といった具合でしょうか。
>東京のみんな一度入った後に解放されているということでしょうか?
kohanaさんの解釈でよろしいかと思います…というか、すいません、その場面はあまり深く考えていなかった(笑)
あまりに『マトリックス』を彷彿とさせる描写だな…という印象しか(笑)
ただ、あのカプセルの役目はkohanaさんの解釈がしっくりくるかと思います。
ところで、『マトリックス』は『攻殻機動隊』の影響を受けていることで有名ですが、それが出てきているなんて、逆輸入したみたいで面白いですね。
>この解釈なら「攻殻機動隊マルチバース」みたいな話なので同人から公式のスピンオフ、4コマ漫画まで『私のダブルシンクです』とつけるだけでまるで正史みたいな扱いができてしまいますね。
正直、僕もkohanaさんと同じような解釈をしていました。
もう少し補足するなら、この解釈をするうえで僕が念頭に置いていたのは原作版の草薙素子ですね。
原作版の草薙素子は同位体を大量に精製することにより、ある種の自己の解放を成し遂げたわけですが、今作は現実を複数に多層化することで自己の解放を実現したと捉えられます。
つまり自己の解放という目的を異なるアプローチで実現しているわけですね。
そして前者を自己という実存を際限なく進化させること、後者をよりよい現実を創ることと捉えると、後者の道を選んだ今作はある意味今の時代にマッチしたアプローチを選べていると思います。
世界が違っていたら、自分はもっとよりよい人生を送れる…いうなれば異世界系の作品に集約されているような欲望がダブルシンクには宿っているのではないでしょうか。
ところで、kohanaさんが仰るようなあらゆるスピンオフを網羅した作り方って、むしろ『エヴァンゲリオン』や『エウレカセブン』っぽいですよね(笑)
『攻殻機動隊』がこれらの作品に近い着地点に行き着いたのは、個人的に新鮮でした。
>16進数と絡めているのは『すべてがFになる』のネタですかね。
entanglementさんのコメント、面白いですよね!
残念ながら『すべてがFになる』は視ておりませんが…そういうネタをちゃんと持っておきたい(笑)
>攻殻機動隊を楽しむファンとして良いエッセンスを分けてもらったようで、この記事に出合えてよかったと思います。
>プリンとほかのポストヒューマンのふるまいの違いがどこから来るのかわかっていなかったのでこの記事読んで腑に落ちました。ありがとうございました。
もったいないお言葉、ありがとうございます。
正直、プリンと少佐を重ねる解釈は自分でも気に入っていましたが(笑)、ロジックに粗が多いので反省しきりです…。
また何か気づいたことがあれば、いつでもコメントしてくださいね!
1A84のプログラムコードを完成させたアメリカ人は、
歓喜のあまり「1984」と殴り書きをした。
しかし、それを読んだ者は「9」という汚い文字を「a」であると
認識してしまい、結果的に「1a84」となった。
アルファベット小文字の「a」と「9」って書いてみると間違えちゃうよね。
くまタンクさんコメントありがとうございます!
>歓喜のあまり「1984」と殴り書きをした。
9を「a=A」と読み違える構図がなんとなく面白いですね。
その人がどんな思いで「A」を連想したかを考えるといろいろ話が膨らみそう…。