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皆々様こんにちは。
『攻殻機動隊SAC_2045(以下『2045』』担当のgatoです。
ここまで3話ずつまとめてやってきた『2045』ですが、いよいよ残り3話となりました。
そんな残りの10話~12話ですが、新たなポスト・ヒューマンが登場し、物語はいよいよ急展開を見せます。
新たなポスト・ヒューマンはどんなレイドを仕掛けてきたのか?
新たなポスト・ヒューマンの目的はなんなのか?
早速振り返っていきましょう。
目次
ポスト・ヒューマンの正体とは?
第10話~12話において、最も重要なキャラクターがポスト・ヒューマンであるシマムラ・タカシです。
このシマムラ・タカシ…色々面白い要素を持っていましたね。
ここではそれらを順番に掘り下げていきたいと思います。
シマムラ・タカシの場合
今回登場したポスト・ヒューマンのシマムラ・タカシですが、これまで登場したポスト・ヒューマンの中でも最年少の14歳でした。
しかし幻覚のような形か、回想でしか登場していないため、現在の彼がどうなっているかは定かではありません。
無論、ポスト・ヒューマンが持つ超人的な電脳スキルと思しき力は発揮されていますが(トグサを目の前で消してみせたなどなど)、彼は他のポスト・ヒューマンと一線を画している一面が垣間見えます。
それが最も端的に現れたのが第11話です。
タカシは姿こそ見えなかったものの、自分の母親に接触しており、彼女への愛情を示す言葉をわざわざ残しています。
この時点でポスト・ヒューマンの特徴である人間性の欠如や人格の変容が完成していない感じがしますよね。
おまけにタカシは自分を追跡するトグサに対してわざわざ接触するような挙動を見せており、挙句の果てにラストで彼を誘うような発言すらしています。
これまで追跡してくる輩には容赦なかったポスト・ヒューマンですが、タカシはトグサに対してはそれなりに関心を持っており、だからこそコミュニケーションを取ろうとしている印象です。
タカシなぜ他のポスト・ヒューマンと違う一面が多いのか、また断定することは難しいですが、そもそも彼が人間として未成熟だったという点はその違いの根拠の一つになりそうな気がします。
母親のヨシエと二人暮らしの母子家庭に育ったタカシですが、引っ込み思案で反抗期がないと称されたほどおとなしい子でした。
この場合、反抗期がないということは大人びているというよりも、むしろ抑圧的な性格だった捉えた方がいいでしょう。
加えて、彼はライナスの毛布…つまり愛着の移行対象を手離せない一面もありました。
これは彼の中にある幼児性がまだ抜けきっていないことを示唆していると思われます。
つまり、タカシは少なくともポスト・ヒューマンとなる前までは「本音がいえない、内向的な子供」というべきパーソナリティだったようですね。
カナミとタカシ
ポストヒューマンとなったタカシにとって恐らく重大な影響を及ぼしたのが同級生のカナミが自ら命を絶った事件でした。
正義感が強く、大人が相手でも物怖じしない勇気の持ち主だったカナミですが、恐らくヤマダからアダルトなことをされていたうえに、正義感が強すぎるためにクラスメイトから疎まれ、孤立していたという一面がありました。
結局カナミは自ら命を絶ってしまいますが(直接的な原因はヤマダでしょう)、これがタカシに強烈な衝撃を与えたのでしょう。
タカシにとってカナミは単純な恋愛対象…というよりも、自分の理想の投影対象だったのかもしれません。
抑圧的なタカシにとって、理不尽や悪人に対して毅然と立ち向かうことはやりたくてもできないことですが、それをカナミはやってのける。
そんなカナミにタカシが特別な感情を寄せることは想像に難くありません。
ただ、タカシは単純に「そこに痺れる!憧れるぅ!」とならず、同時にカナミに対して憐み…正確には自己憐憫を寄せていたのかもしれません。
カナミが正義感を発揮するが故に孤立する様を、タカシは潜在的に恐れていたのでしょう。
カナミに対して「こうなりたい」と思うと同時に、タカシは「こうなってしまうことが怖い」と感じていたのでしょうね。
だから後述するようにタカシはカナミが酷い目に遭う光景を見ていても、自分が助けたいと思わず「空挺部隊が助けにきてくれる」と思っていたというわけです。
ユズとタカシ
カナミともう一人、タカシにとって重要なファクターとなる人物がユズです。
従兄妹だったユズは邪険にしてくれる叔父夫婦とは対照的に、タカシに優しく接してくれる数少ない人物でした。
しかし犯罪行為に手を染めていた警察官達とクーテイの銃撃戦の中、流れ弾を受け悲惨な最期を迎えてしまいます。
タカシにとってユズを喪ったことは単純な悲劇に留まらず、自分の無力さを思い知らされる出来事だったのでしょう。
自分が無力だったために、大切な人を喪ってしまった…この経験はタカシの内向性や抑圧性を加速させる方向にいったのでしょう。
だからタカシは引っ込み思案な性格が14歳まで維持され(あるいは強化され)、酷い目に遭うカナミを思いやっていても自分から立ち上がることができなかったのでしょう。
元々周囲から疎まれ、孤独な生活を送っていた(少なくとも京都では)タカシにとって、無力さに苛まれつつも孤立しない道を選ぼうとしてしまわないようにしていたのかもしれませんね。
ただ、そんなタカシの側にユズはまるで幽霊のように付きまとっていました。
11話で登場していたユズがタカシ自身に見える幻覚なのか、それともポスト・ヒューマンの覚醒因子が見せているものなのかは定かではありませんが、タカシの側で問いかけ続けるユズはタカシにとって呪いのようなものだったのかもしれません。
ユズを助けられず、カナミを助けようとしない無力な自分への呵責が、ユズの形を取って現れた…といった具合でしょうか。
しかし、ユズはタカシを彼のヒーローである「空挺部隊」と呼び、最期は空挺部隊として旅立とうとする彼に別れを告げ、笑顔で見送りました。
かつて守れなかった対象が彼をヒーローと呼び、応援する。
これは空挺部隊として立ち上がる覚悟を決めて初めて、ユズが呪いではなく祝福になったのだと感じましたね。
シンクポルとタカシ
恐らくポスト・ヒューマンとして覚醒して最初にタカシがやったことはシンクポルの設計とヤマダへの攻撃でした。
リアルでいうところの炎上に実際的な攻撃性を持たせたような機能を持つシンクポルですが、これは「一人の力じゃ何もできない」と考えていたタカシの理念が反映されていたと考えられます。
弱者でも数の力で理不尽や悪人と戦える…そんな効果をもたらす武器として、タカシはシンクポルを設計し、カナミのみならず大勢の生徒を苦しめたヤマダを標的に選んだのでしょう。
しかし、シンクポルを使った結果、タカシはウオトリ・シンヤのいうところの「絶望」を知ることになりました。
シンクポルを利用して一緒にヤマダの脳を焼いた連中は単純に「腹が立ったから」参加したに過ぎず、もし事情が違ったらカナミを標的にしていた可能性があったのです。
つまり彼らはタカシのような理不尽や悪人に対するルサンチマン的な正義感ではなく、単純に「むかつく奴を焼いてやりたい」という至極享楽的な感情で動いてたというわけですね。
それにショックを受けたのであろうタカシはシンクポルを放置し、二度と使うことはありませんでした。
シンヤはシンヤで帝都への非難よりも、暴力団員やセク八ラ野郎への袋叩きを楽しんでいた参加者に絶望していましたが、まぁ実際リアルもそんなことがありますからね…。
ただ、タカシが絶望し、シンクポルを放置したことは興味深いことを一つ示しています。
シンクポルの設計及び利用がタカシのレイドだった場合、彼は明確にレイドに失敗し、挫折していたという点です。
ゲイリーがいい例ですが、ポスト・ヒューマンはたとえ脳みそが半分吹き飛ぼうが、目的のために動き続ける一面がありました。
しかしタカシはシンクポルを利用したレイドが失敗だと考えるや否や、固執せずに放棄してしまっています。
単純により良い手法のレイドを選んだ…ともいえますが、第11話の終盤でユズと別れるシーンを見る限り、彼はしっかり絶望したうえで新たなやり方を模索することを選んだ…とみることができるでしょう。
そして恐らくこの出来事がタカシに大きな変化を与えることになります。
タカシが母親に別れの言葉を残し、ライナスの毛布を置いていったシーンですね。
母親に別れを告げ、幼児性の象徴たる毛布を置いていく…ストレートに見るなら、これはタカシが大人になったこと…つまりシンの意味での「空挺部隊」になったことを暗示していそうですね。
これまでポスト・ヒューマンは機械的な言動が多い印象がありましたが、第9話に登場した矢口や大人になったタカシを見ていると、パーソナリティの残滓や、パーソナリティから来る心情や思考のゆらぎのようなものがまだ残っているといえそうです。
うーん、前回の記事よりも、もう少し方向性を考えてみていった方がいい感じがするなぁ…。
クーテイと少年
タカシがある種のヒーロー像を見出している空挺部隊ですが、そのモデルは9歳の頃に出会った謎の傷痍軍人「クーテイ」との出会いでした。
恐らく村八分にされ、孤立しながらも悪人と果敢に戦い、不愛想ながらも優しさを忘れないクーテイの姿は孤立を恐れるタカシにとって理想のヒーローとして映ることでしょう。
彼の末路がどうなったかは不明ですが、それでもタカシが「勇気をもって不条理や悪人と戦うヒーロー」をクーテイに見出すところを見ると、その影響力はかなりのものだと窺えます。
ただ、一人の力では何もできないと悟った彼はシンクポルを作るわけですが…複数で正義を成すという形でヒーローになることを選んだからこそ、「空挺」ではなく「空挺部隊」になったといっているんでしょうね。
他方で、クーテイは別の形でもタカシに影響を及ぼしていました。
それが彼がタカシにあげた『1984』です。
いわずと知れたジョージ・オーウェルの傑作SFであり、タカシの言動や「シンクポル」という名前にもその影響が垣間見えます。
ただ…僕は1984を読んだことがない!
簡単な概要しか知らないから突っ込んだ話ができない!
Amazonで買おうと思ったら一時的に在庫切れってなんだよおい!
…まぁ、知っている知識だけでいうなら、興味深いのが『1984』から引用されているものが基本的にビッグ・ブラザー側のものなんですよね。
「戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である」はビッグ・ブラザーの党のスローガンですし、シンクポルはその党の組織である思想警察が元ネタです。
思えばシンクポルがやっていることも新手の監視と制裁とみることもできますね。
一見するとタカシは反体制的なスタンスの人間に見えますが、そんな彼がビッグ・ブラザーの党のスローガンを口にし、シンクポルを作るところは少し奇妙にも思えます。
尤も、自分の行いがビッグ・ブラザー的になったからこそシンクポルを放棄したのかもしれませんが…。
ただ、1984は第1話出てきたサスティナブル・ウォーを設計した「1A84」とも絡んできそうな印象があります。
いってしまえば、この『2045』のシナリオのベースに『1984』が大いに関わってきそうですね。
ちなみに個人的にシンクポルで失敗したタカシの様は、「笑い男」として利用されてしまったアオイをそれとなく彷彿とさせます。
アオイもまた失敗し、絶望した後に再度笑い男として立ち上がりますが…タカシは微妙に違う立ち回りを見せるようです。
郷愁と虚構
シンクポルに失敗したタカシがやったことは潜在記憶を呼び起こすプログラムで人を郷愁…ある種のノスタルジーに誘うことでした。
これがどういう帰着をするかは不明ですが、ひとまずトグサは「彼は何かを思い出そうとしている」と推理していました。
確かにシンクポルで失敗したタカシがユズとクーテイにまつわる記憶を振り返り、原点に戻ろうとしている感じはありますね。
他方で、個人的にはタカシがトグサにそれを見せていることが気になります。
最初にトグサは「懐かしい記憶とタヒの恐怖」を感じたといっていましたが、その段階で彼はタカシにある種のシンパシーを抱いている感じがしました。
もしかしたら、タカシはあのプログラムを通じて共感できる人間を集めているのかもしれません。
そして文字通り空挺部隊を結成する…それこそ、真のヒーローとして立ち回れる集団を作ろうとしているみたいな。
そんな気持ちを抱いているからこそ、タカシはユズに「みんなの行きたいところ」に行くといったのかもしれません。
『2045』第10話~第12話感想
タカシだけでここまで書けると思わなかった(笑)
いやーしんどかった(笑)
タカシはこれまで積み上げてきたポスト・ヒューマンに関する推論を色々狂わせてきたので、個人的にわりと興味深いキャラクターです。
ただ…まさかのここで『2045』ファーストシーズンが終了!
「そこで終わんの?!」っていうところで見事に終わってくれましたね(笑)
うーん…なんだか複雑(笑)
ひとまず、考察記事は一旦ここで終わりにして…次回はセカンドシーズンに向けた総括をやりたいと思います。
それではまたお会いしましょう~!
▼セカンドシーズン含む攻殻機動隊2045の記事はこちらにまとめてあります!
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コメント
タカシはカナミが自殺する以前にポストヒューマンになっています
no nameさんコメントありがとうございます。
おっと失礼しました…時系列がごっちゃになっていましたね。。
修正いたしました。
ご指摘ありがとうございます!