皆々様こんにちは。
『平家物語』担当のgatoです。
前回はびわが母親探しをする一方で木曽義仲が大活躍。
その結果、平家は一門を引き連れて都落ちを余儀なくされます。
京都を追われ、かつての繁栄が急速に失っていく平家。
既に滅びが間近に迫っている彼らに、今回はさらなる悲劇が訪れます。
そして一人、また一人と命を落としていくことに…。
そろそろ精神的にしんどくなる展開が待っていますが(笑)、今回もじっくり見ていきましょう。
目次
静御前ご一同
前回のラストで義仲の兵士に襲われそうになったびわを助けたのは静御前!
義経の愛人として有名な白拍子です。
そんな静御前の描写ですが、他の白拍子と違う感じがしましたね。
これまで登場した祇王(ぎおう)や仏御前(ほとけごぜん)は気品ある女性として描かれつつも、権力者に振り回される悲劇性が強調されていました。
対して静御前や、彼女と同行している月・あかりは陽気で自由で活発な雰囲気が描かれていました。
儚げな印象が強かった祇王達と比べると、対照的な描かれ方をしている印象があります。
個人的にこれは権力者との関係は希薄なものの、だからこそ自由で気ままな旅や舞を楽しめている静御前達の若さや純粋さが強調されていると感じました。
今作では権力者や権力に関わったために翻弄されていく女性達の悲劇が描かれています。
だからこそ、そういった事柄とは無縁である静御前達は悲劇的な末路を辿る女性とは対照的といえるでしょう。
つまり、静御前達の活発さや明るさは祇王や徳子達が失ってしまったものと捉えられるのではないでしょうか。
ある意味、祇王や徳子の人生が少し違ったら静御前達のような日々を送っていた…かもしれませんね。
ただ、これはこの時だけのこと。
後に義経を愛してしまうために、静御前もまた悲劇的な人生を送ることになります。
そう考えると、マジで諸行無常だな、この作品は(笑)
法皇の誤算
平家が都落ちしてからは上機嫌な後白河法皇ですが、今回は義仲に振り回される姿が描かれていましたね。
後白河法皇は策謀に優れ、「日の本一の大天狗」と称されていましたが、個人的に自分から権力を奪う武士を追い出すために別の武士を動員して、今後はその武士に権力を取られてしまう人って印象が拭えない(笑)
というか、重盛や徳子、資盛の前では優しげな姿を見せていた後白河法皇ですが、平家が逃げ回る姿を聞いて高笑いをあげるところを見ると、なんやかんやで平家憎しの方が強いのかな…。
まぁ今様に没頭して楽しむ姿を見る辺り、元々享楽的な一面がようですし、その時その時の感情が正直に出る人なんでしょうね。
木曽殿最期
前回大活躍した義仲ですが、今回は京都を荒らしまわって暴走した挙句に水島の戦いで敗北し、後白河法皇、そして頼朝と敵対してあっさり滅ぼされます。
前回は結構出番が多かっただけに、今回の片付けられ方はちょっと拍子抜けでしたね(笑)
荒らすだけ荒らしてさっさと退場した義仲ですが、ある意味その滅びは必然といえるものでした。
「義仲より平家の方がマシ」といわれたように、義仲は略奪が多発するほど兵士の統制が取れておらず(他の勢力の混成軍でもあったため)、おまけに格式を無視して皇位継承問題に口出しするなど、平家を都から追放した功を傘に朝廷の意向を無視する傲岸ぶりをみせます。
ここが強引とはいえ朝廷を上手く利用していた清盛や、朝廷のルールを良く理解していた頼朝との決定的な違いです。
いうなれば、義仲はあまりに田舎者で、そして武士であり過ぎたわけです。
散々嫌われた挙句に水島の戦いで平家に惨敗し、福原まで奪還されたことで義仲の権威は失墜。
おまけに頼朝を利用して自分を排除しようとした後白河法皇に叛旗を翻したことで完全に人望を失った義仲は、義経によって粟津の戦いで討たれることになりました。
良くも悪くも、清盛のようなしたたかさがないのに彼のように強引に天下を握ろうとしたことが、義仲の最大の失敗といえるでしょう。
義経推参
出番は少なかったですが、やはりこの人を無視しては通れないでしょう…。
そう、源平合戦で大活躍した超有名人の源義経です。
その有名過ぎる最期もあって義経はゴリゴリのイケメンとして描かれることが多いですが、今作の義経はちょっとダークな雰囲気を漂わせる冷酷なキャラクターとして描かれるようですね。
淡々と笑顔で奇襲を決断する場面は少しゾワッとしました。
そんな彼が静御前と出会う場面がどう描かれるかが楽しみです。
ところで、平家を滅ぼした義経の最期は頼朝と対立して奥州へ逃げ込んだ挙句に自刃するというものでした。
なんか平家を追い詰めた連中はきっちり天罰を食らっている感じがしますね。
例えば今回平家を大宰府から追放するきっかけを作った緒方惟栄(おがたこれよし)ですが、実は彼は後ほど頼朝と対立した義経の味方をして流罪にされます。
宗盛の息子の斬首に関わった川越重房は義経の舅(しゅうと)だったために頼朝に敵視されて命を奪われますし、頼朝自身も突如体調を崩してあっけなく息を引き取り、その息子達はいずれも若くして命を奪われます。
そう考えると…因果応報ってある気がしますね。
平家の落日
清盛が息を引き取ってからあれよあれよと転落していく平家ですが…ここではそんな平家の奔走ぶりを見てみましょう。
網にかかった魚
再帰を誓って九州の大宰府に逃げてきた平家一門ですが、そこで重盛のかつての家臣であった緒方惟栄が院宣を得て平家追討を開始したため、やむなく九州からも追い出されることになります。
かつての家臣にすら裏切られるという、まさに平家の落日を示す印象的な場面でしたね。
残酷な現実に後に悲劇的な末路を辿る清経は悲嘆しますが、資盛(すけもり)はこの状況を仕方がないと思っている節がありました。
清経のいうところの「誠実さや実直さや恩義」が平家にはなかった。
主である後白河法皇に平然と歯向かい、敵対する勢力を弾圧し、強引に権勢を拡大したために、今その報いを受けている。
平家の現状がそうであると、資盛は冷静に感じているのでしょう。
資盛がシビアなリアリストの一面を持っていることは第7話の記事でも触れましたが、清経とのやり取りにそれが表れている気がしますね。
確かに清盛の行いは決してよいものでなく、報いを受けるべきと評価せざるを得ない一面もあります。
でも、穏やかな生活を奪われ、滅びていく様は例えそれが報いでも切ないものです。
滅亡の未来がわかっているとはいえ…。
例え泥にまみれても
流浪する平家のもの悲しさをより駆り立てていたのは、健気までに一生懸命な徳子でしょう。
自ら安徳天皇が入った籠を背負い、女御(にょうご)達を気遣い、安徳天皇を励ます姿は胸に来るものがありましたね…。
また、敦盛も悲観的な感情に溺れた清経を笑顔で励ますなど、まだ希望を捨てていませんでした。
これが今作の辛いところですよね。
言ってしまえば、平家一門は清盛の所業の報いを受けているわけですが、そこには一生懸命自分の人生を生きようとした人達もいるわけです。
それなのに、滅びの運命は相手を選ばず強制的に巻き込んでいく。
赦されない悪行をしていたとはいえ、平家を憎み切れないのはこの描写があるからこそでしょう。
心憂きことの始まり
前半のクライマックスは清経の入水でした。
悲しげに笛を一節吹いた後、笑みを浮かべながら海に飛び込み、そのまま彼は帰らぬ人に…。
重盛の子供達で一番明るく、純粋だった清経ですが、まさかの最期を遂げてしまいました。
史実の清経も劣勢を覆せず、ひたすら落ちぶれていく中で悲観的な考えに憑りつかれて入水したそうです。
皮肉にも、清盛の暴走を止められず、義兄の成親を救えなかったことをきっかけに憔悴していった重盛の末路にも似ていますね…。
ある意味、重盛の一家の中でも一番純粋で、優しい気質だった清経だからこそ、ハードな現実に耐えきれなかったのだと窺えます。
そんな清経ですが、最後に微笑みながら入水していったのが不思議ですね…。
個人的に、あの時飛んでいたカモメがかつての平和な日々を連想させたのかもしれないと感じました。
第3話で維盛(これもり)達の厳島神社(いつくしまじんじゃ)を訪れた場面が「戻らない日々」の象徴として扱われていますが、そのエピソードの冒頭でもカモメが飛んでいました。
悲嘆に暮れ、もはや自暴自棄になった清経ですが、その今わの際で戻らない日々の幻を見たのかもしれません。
いやぁ…それにしても清経が入水する場面を未来視したびわの絶叫…なかなか胸にくるものがありますね…。
敦盛散る
今回のクライマックスは一ノ谷の戦いの締めくくりとなる敦盛の最期の場面でした。
国語の教科書に載るほど有名な場面ですが、こうもしっかり尺を取って描かれると…きついですね。
武士であることにこだわった敦盛は、武士らしく一騎討ちに応じ、接戦を繰り広げますが紙一重の差で敗れ、その首を討たれます。
皮肉にも、武士らしい雄々しくも潔い最期でした。
そんな敦盛ですが、清経の入水にかなり心を痛めており、作中では清経の姿を思い浮かべたり、撤退をやめて清経の形見である横笛を取りに行ったりと、彼にこだわりをみせる一面がありました。
敦盛が武士らしさにこだわるのは、元々彼が持っていた武士へのこだわりと、清経との間に立てた誓いが大きく影響しています。
そしてそれと同時に、清経が失ったと悲嘆していた穏やかな日々を取り戻したいという気持ちがあったからでしょう。
つまり清経が大切にしていたものを取り戻したいという気持ちが、敦盛の武士らしさにつながっていたわけです。
ただ、そこには清経を入水させてしまった自責の念も混ざっていたのかもしれません。
自分が武士として強ければ、清経が大切にしていたものを守れれば、清経は入水しなかったかもしれない。
敦盛が直実の一騎打ちに臨んだのは彼の高潔さによるものだけでなく、清経を入水させてしまった後悔から生じた「武士であらねば」という強迫観念も絡んでいるのかもしれませんね。
そんな敦盛ですが、命を落とした後、一羽から二羽に増えたコアホウドリが描かれていました。
まるで敦盛が先立った清経と再会したことを暗示するように…。
それが描かれただけでも、ほんの少し救われたというべきなんですかね…。
びわの旅
さて、今回は平家を追い出されたびわの旅が一つのクライマックスを迎えました。
未来が視えても
静御前から母である浅葱の方の居所が丹後だと知った彼女は早速向かいますが、その道中で清経の最期を未来視してしまいます。
最早変えられない未来だと悟ったびわは絶叫し、涙に暮れました。
変えられない未来に打ちのめされる場面は久しぶりでしたが、個人的に印象的だったのはびわが泣きながら重盛だけでなく、清盛の名前も挙げていた点です。
第6話の記事で、びわが清盛に微笑むなど、好感を持ち始めていることを触れましたが、彼女からしたら清盛の末路は悲しいことの一つだったようですね。
実はこのことって、結構重大な意味を持っている気がします。
そもそも清盛はびわの父の命を奪った元凶といっても過言ではない相手です。
おまけにあの性格だったため、当初びわは彼に敵意をむき出しにしていました。
ただ、いつしかびわは彼に好感を抱き、その最期を悼んでいます。
ここで重盛のあの台詞が絡むわけです。
「びわは赦したか?」
つまり、びわが清盛を想って涙を流し、重盛や清経、敦盛と共に彼を思い描いている時点で、びわはすでに赦していたのではないでしょうか。
ただ、びわにとって重要な赦しはもう一つあります。
それは清経の入水で改めてびわが垣間見せた未来を前にした時の無力感です。
どれだけ望まぬ未来でもそれは来てしまう。
そしてその未来は変えられない。
度々未来視する彼女にとって、それは無力感を覚える最大の場面であり、同時に何もできない自分を赦せずにはいられないでしょう。
しかし、この点において、彼女の母である浅葱の方は後ほど重大な示唆を与えるわけです。
浅葱の方
色々伏線が貼られた挙句にようやっと登場したびわの母の浅葱の方ですが、かつての白拍子の面影はどこへやら、すでに盲目となり、みすぼらしい小屋で独り暮らしをしていました。
前回の記事でも触れましたが、やはり彼女は白拍子であることや外見の雰囲気を含め、権力者の愛妾(あいしょう)となるところが祇王と重なります。
それだけでなく、浅葱の方は平家の度々弾き語りをしている大人になったと思しきびわとも似ている感じがします。
だとしたら、浅葱の方はびわのあり得る行く末の一つと捉える余地が出てきそうですね。
もしそう捉える場合、個人的にポイントなのは浅葱の方はびわとの再会を望んでいたにも関わらず、未来視で見えていたにも関わらず、びわと会おうとしなかった点です。
びわに「なぜ視えていたのに会おうとしなかった」と指摘された浅葱の方はびわと夫を捨てて城資永(じょうすけなが)の元へ行った後悔を語っていました。
ここには浅葱の方の過去への後悔が現れていました。
そしてびわに赦しを求めつつも、「赦さなくていい」と告げます。
つまり、浅葱の方は家族を捨ててしまった己の過去を赦せず、それゆえにびわと会う未来を恐れていたのです。
だから浅葱の方は盲目になったのかもしれません。
過去を赦せず、未来を恐れる彼女はもはや今を視ることさえやめてしまった…という感じに。
この「過去を赦せず、未来を恐れること」は、びわにも重ねられる要素でしょう。
先述したびわが覚える「未来への無力感」に関わるところですね。
もしかしたら、びわが未来視を恐れ、何もかも投げ捨ててしまったら、彼女もまた浅葱の方のようになっていたのかもしれません。
実際、弾き語りをするびわの容姿は浅葱の方と似ていますしね。
しかし、このびわは決して浅葱の方と同じではありません。
そのことを示す重要な要素が、びわが本名の「あさぎ」ではなく、あくまで「びわ」という名前を名乗ったことなのです。
びわの目
総括に行く前に若干話を逸らしますが、ここで一度弾き語りをするびわについて語りたいと思います。
今回の浅葱の方の描写を踏まえると、第5話の記事で触れた弾き語りするびわの目の色の変化は、両目が青色になったというよりも、盲目になったと捉えるべきでしょう。
というか、この時点で僕はとんでもないミスを犯していました。
びわというキャラクターは平家物語を弾き語った琵琶法師を連想しますが、そもそも琵琶法師は盲目の僧でもありました。
おまけに琵琶法師と似たようなもので瞽女(ごぜ)というものがありますが、こちらはなんと盲目で弾き語りをする女性芸能者を指す言葉です。
しかも瞽女は近世になると北陸…とりわけ新潟を中心に活動していたとか。
ここでびわや浅葱の方が越後=新潟にいった話とつながるわけです。
さらにさらに瞽女のルーツは白拍子だとか!
琵琶法師や瞽女のことを踏まえると、弾き語りをするびわの目の色が違うのはモチーフ的に彼女が盲目になったと考えるべきなんですね…。
正直、びわが盲目になる経緯はこの先を見ないとわかりませんが、少なくとも浅葱の方とは違う経緯でしょう。
個人的にこの後掘り下げる「祈り」という要素が重要になる気がします。
祈り、語り継ぐ
さて、びわの総括に入りますが、ここでは「名前」と「祈り」という二つの軸を提示しながら書いていきます。
まず、今回でびわの本名が実は「あさぎ」であることがわかりましたが、びわはあくまで自分を「びわ」と名乗りました。
あさぎという名前はびわの父が名乗ることを禁じていましたが、浅葱の方は「彼がその目の色を恐れていたから」だと語っています。
あさぎは浅葱の方は同じ「浅葱」という字になるかと思いますが、これは色を指す言葉であり、まさに未来を視るびわの右目の色を指しています。
つまりびわの父がびわの目の色を恐れることは、浅葱の方が未来を恐れることと同じような意味があるといえそうです。
そう考えると、「あさぎ」という名前は恐れをはらんだ未来を指す言葉だといえるわけです。
しかし、びわはあくまであさぎではなく「びわ」という名前にこだわりました。
ここには、今回も登場した「祈り」と、「語り継ぐ」ことが重要だと思います。
まず、びわが浅葱の方を赦したのは、彼女がまたびわや父のために祈っていたことを知ってからでした。
「何もできなくとも…祈る」
浅葱の方はびわやびわの父を捨てましたが、その後悔もあって本心からびわやびわの父のために祈っていました。
未来を恐れてしまった浅葱の方ですが、その「祈り」には彼女の真心や想いがこもっていたことが窺えます。
この「祈り」において、重要なのはそれが報われ得ぬ相手でも想い続けることというべきでしょう。
例え滅びの未来が避けられないとしても、すでに喪った相手だとしても、ひたすらに相手を想い続けることにこそ、祈りの本質があるわけです。
びわが浅葱の方を赦せたのは、彼女のために祈れたのは、自らの過ちを悔いながらも、真心を込めて自分や父を想って祈っていた姿を見たからでしょう。
そしてそれはびわの平家への、未来への向き合い方への変化にもつながります。
例え滅びを避けられなくても、平家への想いがある限り、彼らの安息を祈り続ける。
びわ自身が浅葱の方と再会して赦せたように、禍根や苦しみを癒せるきっかけになるかもしれないから。
もちろんこれは楽な作業ではありません。
滅びは変えられないわけですから。
でも、それでも祈ることを選んだびわには「変えられない現実を前にしても祈り続ける」という決意が宿っているように思います。
そして、びわがそんな「祈り」を込めて弾き語ることが、「びわ」という名前の意味を浮き彫りにします。
「未来」を指し示す浅葱に対し、「びわ」は弾き語りを連想させることから、「想いを馳せる大切な過去」を指し示すニュアンスが強い名前のように感じます。
この解釈はびわが平家の者達を語り継ぐと決意したことを踏まえるとしっくりくる感じがしますが、個人的にここにもうひとひねり加えたいところ。
以前、第2話の記事で僕は「祈り」が「いつか、また今度」のように叶うとは限らない未来への希望と解釈しました。
今回のエピソードも含めると、「祈り」の解釈は「例え報われ得ぬ相手でも『いつか、また今度』と想うこと」とすべきでしょう。
つまり、すでに滅びの未来が定められている、あるいはその未来を迎え過去に埋没していった者達が相手でも、「いつか、また今度」と「祈り」を込めて語り継ぐことが「びわ」という名前の本来的な意味なのではないでしょうか。
tips:一ノ谷の戦い
ここでは源平合戦における名場面の一つでありながら、敦盛の場面以外あっさりと片付けられた一ノ谷の戦いにつれて触れてみましょう。
一ノ谷の戦いは義経の鵯越(ひよどりごえ)の逆落としで平家をフルボッコにしたことで有名な戦いですが、逆落としに関しては創作という説もあり、色々解釈が分かれています。
また、今回は敦盛の最期が強調されていましたが、実はこの段階で平家は京都奪還を計画できるほどに兵力を回復させており、そこまで劣勢ではありません。
水島の戦いで義仲を敗北させるくらいには、平家は力を回復させられていたわけですね。
しかし、一ノ谷の戦いで敗北したことにより、敦盛だけでなく多くの武将が命を落とすことになります。
さらに今回は描かれませんでしたが、主力の一人だった重衡(しげひら)が捕虜になってしまいます。
一時期は福原を奪還するまでに盛り返した平家ですが、この戦いで再び主力の大半を失い、再度窮地に立たされます。
そしてこのまま屋島の戦い、壇ノ浦の戦いを迎えることになるのです。
『平家物語』第9話感想
いやー、清経と敦盛の最期…覚悟はしていましたがキツイですね。
想像以上でした。
涙腺が熱くなりましたよ…まったく。
後、浅葱の方の登場やびわの名前が明かされたことで、この作品の主軸がようやっと見えてきた気がします。
前まで書いていた解釈が一面的な見方だったことは反省ですけども(笑)
…というか、次回のタイトルって「壇ノ浦」なんですね。
え…一ノ谷の傷が癒えていないのにもう屋島からの壇ノ浦?
これは来週が恐ろしいことになりそうですね…。
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