皆々様こんにちは。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女(以下『水星の魔女』)』担当のgatoです。
前回は絶望のどん底に落ちたスレッタが立ち直る過程が描かれる一方で、プロスペラの策略でクイン・ハーバーが大惨事に。
おまけにシャディクがフォルドの夜明けと結託していたことも発覚しました。
ミオリネがスペーシアンの横暴の象徴に祭り上げられる中、スレッタはどうするのか…。
注目の第20話、じっくりと振り返りましょう。
目次
ミオリネを巡る男たち
まずは今回激突したグエルとシャディクについて掘り下げてみましょう。
グエルの過ち
フォルドの夜明けの背後にシャディクがいることを知ったグエルは怒り心頭で突っ込みますが…相変わらずおっちょこちょい(笑)な性分は変わっていないようですね。
グエルはシャディクの陰謀の証拠がない以上、まずはサリウスを確保すべき状況で、真正面からシャディクに突っ込んでしまいます。
おまけに威嚇射撃をかましたせいでシャディクに正当防衛の理由を作られてしまうなど…向こう見ずなところは相変わらずですね。
自信のあまり脱出すべき状況で自らMSで出撃したヴィムの気質をよく受け継いでいるともいえますが…。
おまけにシャディクにヴィムを愚弄されたことで逆上するなど、とことんグエルは感情的に行動していましたね。
恐ろしいまでに冷徹さを維持していたシャディクと対照的になっているところが印象的でした。
正直、今回はグエルの未熟さが強調されている印象でしたね。
第15話の記事で触れたように、地球での経験でグエルはヴィムを手にかけた後悔からは立ち直っていました。
しかし、それが=ジェターク社を率いる器としてグエルが完成されたことを意味するわけではありません。
今回のグエルは徹底してシャディクへの怒りという私的な感情を元に戦っていました。
一方で、今のグエルが背負っているものは、個人的な感情でのみ差配していいものではありません。
ジェターク社のこと、ジェターク寮のこと、学園のこと、ラウダのこと、ミオリネのこと。
そしてスレッタのこと。
しかし今回のグエルはそれらのことは一切触れず、自分や父を謀略に利用したシャディクへの怒り一辺倒で戦っていました。
感情を一部露わにしながらも、アーシアンのためという大義を背負い、戦いながらも淡々と計略を進めていたシャディクとは対照的に。
野望達成のために、常に世界と向き合い、自身の感情を抑えつけ、冷徹なまでに他者を利用するシャディクに対し、彼と同じようなことをできる立場になりながらも私的な感情で戦ってしまったグエル。
終盤までのグエルは、世界と向き合う覚悟を決めたシャディクとの差を徹底的に見せつけられたといってもいいでしょう。
そしてきっと、グエルの受難はこれからも続くことになるわけです。
怒りのシャディク
グエルとは対照的に戦いながらも淡々と計画を進めていたシャディクですが、彼自身、感情を完全に抑制できたわけではありません。
当初はわざとグエルの攻撃を受けて正当防衛の口実を作りつつ、陰でエナオにサリウス移送の指示を出し続けるなど、冷静に事態に対処していたシャディクですが、グエルと言葉を交わすごとに感情を露わにしています。
皮肉にもそれはノレアと同じように「怒り」を軸にしていたものでした。
ただ、シャディクの怒りはなかなか屈折しているものだとわかります。
まず、シャディクの怒りはグエルの浅はかさに向けられたものでした。
感情的になるあまり、段取りを踏まずに攻撃をかけてきたところはもちろん、何よりもミオリネの窮地に追いつめたことにシャディクは怒りを露わにしていました。
第9話の記事でも触れましたが、シャディクはグエルにミオリネを託すほど信頼を寄せていました。
それはグエルが愚直なまでに一本気で、託されたことを全うする強さがあったからでしょう。
しかし、グエルは感情的になるあまり、ミオリネよりもシャディク潰しを優先した。
もしシャディクがプリンスだとわかっても、グエルが冷静にミオリネの傍にい続ければクイン・ハーバーの事態は防げていたかもしれません(尤も、グエルじゃプロスペラに出し抜かれるでしょうけど)。
かつてミオリネを愛していたシャディクにとって、ミオリネを放置して直情的に行動したグエルの浅はかさは度し難いものだったのでしょうね。
他方で、グエルと言葉を交わしていく内に、シャディクはグエルの人間性そのものへの嫌悪を吐露していました。
それが顕著に表れたのが、グエルが最後に攻撃を仕掛けた際に発した「真っ向勝負か。そういうところ、昔から嫌いだった」というセリフです。
ここまでシャディクが発してきた怒りはグエルがミオリネを守れなったことや、不条理をばら撒いてきたスペーシアンに対するものでしたが、このセリフだけ、明確にシャディク個人のグエルへの嫌悪を根底にした怒りだということがわかります。
決闘の最後で、シャディクはグエルに対する個人的感情をぶつけてきたというわけです。
個人的にこのセリフには不思議な印象がありました。
確かにグエルとシャディクは対照的な性格であり、理知的なシャディクがグエルの向こう見ずで一本気なところを嫌う理由はわからなくないものです。
しかし、昔から嫌いだった人間にシャディクが大切なミオリネを託すとは思えない。
だとしたら、シャディクはグエルが向こう見ずで一本気だからこそミオリネを託せると思ったのではないでしょうか。
となると、シャディクにとってグエルは自分にないものを持った得難い存在であり、だからこそミオリネを託す相手として信頼できた…と解釈できそうですね。
ただ、個人的にこの解釈にはもう一捻り加えたいところです。
まだ経緯が明確に語られたわけではありませんが、シャディクがアーシアンの抑止力を持たせるためにアカデミーに入ったのだとしたら、彼は何年にもわたって密かに計略を進め、サリウスのお眼鏡に叶うように必死に努力をしてきたと考えられます。
おまけにミオリネへの想いを屈折した形でも残し続けている。
そして計略を進めながらも、何だかんだで自ら前線に立ち、あまつさえグエルと堂々と決闘を演じて見せている。
だとしたら…シャディク以上に一本気な人間がいるでしょうか?
つまり、シャディクがグエルにミオリネを託したのは、彼がグエルと似た者同士(「誰か」)だったからではないでしょうか。
そして、グエルへの怒りと嫌悪を剥き出しにしたのは…クイン・ハーバーにミオリネがいることを知りながらもあえて手を出さないでいたために、まんまとプロスペラの行動を看過してしまった自分自身へのそれと重ねてしまったからかもしれません。
いうなれば、ミオリネを守れなかったグエルと同じように、シャディクは自分自身に怒りを向けているのかもしれませんね。
誰が父を奪ったのか
ちょっとグエルとシャディクから離れて、彼らを取り巻くキャラクターに目を向けてみましょう。
やはり注目すべきはラウダでしょうね。
第16話の記事から嫌な予感を書いてはいましたが…やはりヴィムの最期の真相をラウダは知らなかったようです。
ただでさえバリバリ前線に立っているグエルへの劣等感を覚え始めているうえに、自分の知らないガンダムをジェターク社が所有していたり、事態を詳しく知らされないままダリルバルデを持ってこさせられたりと、ここ最近の彼はグエルに振り回されている印象です。
ただでさえ、鬱屈めいた感情が積もってきている状態でヴィムの最期の真相を知らされたら…ラウダはヤバい感じになるでしょうね。
おまけにペトラがあんなことになったばかりに…ラウダがグエルと敵対するフラグしか見えません(笑)
ただ、ラウダが敵対するならどこにつくのだろうか…。
単純にグエルに攻撃を仕掛けるなら、宇宙議会連合に行きそうな気もしますが…意外とプロスペラに懐柔されたりするのかな。
ラウダはグエルを慕っていますし、ペトラのこともあって戦争そのものへの嫌悪が強まるルートもあり得そうなんだよな…。
理不尽な平和
さて、ここでは簡単にシャディクの主張を掘り下げてみましょう。
今回のシャディクはこれまでの飄々とした態度とは打って変わり、アーシアンの立場で自分の想いを主張していました。
戦争シェアリングで全てを奪われ、他者を蹴落とす生き方を強いられ、力を奪わなければ抗うことすらできない。
シャディクの主張は、住んでいた地球を荒廃させられ、格差社会の底辺に叩き込まれ、声を上げれば弾圧されるアーシアンの立場を如実に示しているものです。
弾圧され続けるアーシアンにとって、作中の世界における平和は尊いものではなく、むしろ理不尽の象徴といえるものでしょう。
争いを仕掛けた以上、シャディクの行いは許されるものではありませんが、彼の主張に全く正当性がないものとはいいきれません。
リアルでも国家間どころか同じ国の中でも格差は問題になっていますし、富裕層が貧困層を食い物にしていた例なんていくらでもありますからね。
もちろん、だからといって暴力的行為や反社会的行為が許されるわけではありませんが、『水星の魔女』で描かれている火種は、リアルにも存在しているというわけです。
罪の行方
激戦の末、シャディクはグエルに敗れ、チーム・シャディクの面々もドミニコス隊に捕縛され、サリウスも奪還されていました。
ここでシャディクの野望は終了…というわけでなく、もちろん抜け目なく彼は次の一手を打っていたわけです。
冒頭でシャディクはグエル達が到着した時点でエナオにサリウスの移送を支持しており、さらに宇宙議会連合にも連絡を取らせていました。
前回のエピソードでフォルドの夜明けの背後に、ベネリットグループに対して強硬的な宇宙議会連合理事会の存在があることが明かされていましたが、シャディクは宇宙議会連合すら動かそうとしていたわけです。
さらにシャディクは意図的にノレア達を脱走させ、彼女を暴走させることで学園を破壊させていました。
あえて外部の情報が入るようにしていたことを踏まえると、クイン・ハーバーの事件を見てスペーシアンを憎むノレアが暴走することを見越していたのでしょう。
そしてベネリットグループが反逆者を鎮圧するために、クイン・ハーバーで争いを起こし、やむを得ないとはいえ学園内で学生を巻き込んで鉄火場を演じてしまった事実を利用して、シャディクは宇宙議会連合を動かそうとしています。
つまりシャディクはベネリットグループの事業譲渡を進めるだけでなく、他の人間の心理を読んで利用するだけでなく、自分の敗北すらも織り込んだプランをしっかり用意していたことになります。
ここまで来ると悪魔的な策略家ですね…。
ところで、グエルとの戦いの中で、シャディクは「俺の罪を俺は肯定する」というセリフを口にしていました。
シャディク自身、自分の行いが間違っていることを自覚しており、それでもなお進んでいく覚悟を決めていたことが窺えます。
個人的に、このセリフはかつて『PROLOGUE』で罪を背負う意義を語ったデリングを彷彿とさせるものでしたね。
そしてデリングもまた、戦争シェアリングという罪を背負う道を選んでいます。
シャディクがミオリネと添い遂げる道を選ばなかったのは、彼が愛しているが故にミオリネを信頼できないうえに、他ならぬ自分自身を信頼していないからだと考えていましたが…。
もしかしたら、シャディクは自分がデリングのような人間であり、ミオリネの望まない形で罪を背負ってしまうだけでなく、デリングのように離れることでしか愛情を示せないからなのかもしれません(まさにヤマアラシ!)。
まぁ何はともあれ、これでシャディクがラスボス的な立ち位置になるという展開はなくなったかな…。
宇宙議会連合を動かす布石を残したとはいえ、さすがに自分が先陣を飾る機会はもうないでしょうからね。
このまま捕縛されるでしょうけど、個人的にはグエルと和解してスレッタと一緒にミオリネを助けにいく展開があったら嬉しいですね(笑)
ところで、アーシアンとしての本音を言っていたシャディクを、サリウスはどんな気持ちで聞いていたのでしょうね。
とことん冷静なサリウスですが、グエルに敗れたシャディクに「愚かな息子よ」と悲しげに呟いていました。
有能とはいえ、アーシアンのハーフであるシャディクを養子にすることは、サリウスの立場を考えるとリスキーなものだったといえます。
シャディクに野心がなかったとしても、アーシアン差別が横行する社会でアーシアンとのハーフを後継者にすると余計なトラブルを招きそうですしね。
それでも後継者に選んだのは…そして出し抜かれるほどに信頼したのは…サリウスなりにシャディクを息子として愛していたからかもしれません。
学園の終わり
ここでは理不尽な暴力によって蹂躙される学園の描写を掘り下げてみましょう。
きっと次のデートで
今回のエピソードで意外な絡みを見せたのがスレッタとペトラでした。
ラウダやフェルシーを始め、ジェターク寮の面々はオープンキャンパスでの一件から地球寮や株式会社ガンダムに対して柔和な姿勢を取っていますが、ペトラもまたスレッタへの態度を軟化させていました。
シーズン1での取り巻きぶりからは想像もできないですが(笑)
ただ、異常事態の中でのペトラは、その芯の強さを発揮していました。
ラウダにデートをすっぽかされ(まぁグエルにダリルバルデを届けに行っていたわけですが)、怒り心頭だった彼女ですが、動揺するスレッタを誘導しつつ、負傷した生徒の救出を試みるなど、軍人顔負けの立ち回りを見せていました。
個人的に、そんなペトラのバイタリティは非常に興味深いものです。
自分の命すら脅かされる異常事態でも怯えることなく、冷静に判断し、救える命は救おうとする。
そのうえで生き残ってからのことも考える。
まぁそれが見事にフラグになってしまったわけですが、ペトラが生き残ってからのデートを考える気概を見せたのは、ある意味作中の世界において重要な意義を持っているように感じます。
さきほども触れたように、アスティカシア高等専門学園での平和で豊かな生活はさまざまな不条理の上に成り立っています。
一度世界が裏返り、その不条理が目の前に現れれば、学園生活などなんの意味もなくなるでしょう。
しかし、それでもペトラは自分が生き残ってから送る学園生活に想いを馳せていました。
そしてそれを奪われないようにするために、冷静に生き残る道を模索していたわけです。
つまり、ペトラの生き様は、平和は与えられるばかりでなく、時に自分で守るか、獲得しなければならないものであることを如実に示しています。
プロスペラから学園生活を「与えられた」スレッタとのいい対比になっているのではないでしょうか。
しかし、そんな健気なペトラも悲しい末路を迎えるわけで…。
明言こそされていませんが…スレッタがペトラの救命作業をせずに別の学生を助けるために瓦礫をよけていたところを見ると…あれはもうダメかもしれませんね…。
ドミニコス隊出撃
20話目にしてやっと仕事をしているところを見せてくれた(笑)ケナンジ率いるドミニコス隊。
プロの軍人らしく、チーム・シャディクを捕縛するなど、なかなかの活躍を見せます。
他方で、ノレアには余計なことをしちゃってくれていましたが…。
そんな中、これまで飄々としながらも職業軍人らしく淡々と業務をこなしてきたケナンジが意外な一面を見せていました。
暴走したノレアが登場しているソーンと対峙した際、ケナンジが腕を震わせていたシーンです。
『PROLOGUE』ではあれだけ堂々とガンダムと対峙し、あまつさえ量産型ガンダムを撃墜していたケナンジですが、今回の彼は余裕がない様子でした。
「ガンダムはもう勘弁なんだけどなぁ」というセリフから伺うに…もしかしたらケナンジはガンダム絡みがトラウマになっているのかもしれませんね。
21年の間にケナンジに何があったのかはまだ不明ですが、もしかしたらヴァナディース事変で自分がやってきたことに後悔を感じているのかもしれません。
あるいはヴァナディース機関を始め、アーシアンの弾圧に加担してきたことに苦痛を覚えているか…。
かつての同僚であるオルコットを「青臭い奴」と評していたケナンジですが、彼も彼で自分が不条理の側にいることに想うことがあるのでしょうね。
もう1度、君と話がしたい
ノレアが暴走し、ドミニコス隊と戦闘を始める中、ロックが解除されたことでニカは地球寮の面々と再会しました。
フォルドの夜明けに加担していたことで追われる身になり、地球寮の面々の信頼を裏切ってしまったニカですが、改めて彼女と向き合う覚悟を決めたのは、他ならぬ彼女を通報したマルタンでした。
これまで情けない様を見せていたマルタンですが、前回のセセリアや地球寮の面々とのやり取りですっかり覚悟を決めたようですね。
ニカに対して蟠りを抱いていたチュチュも、許すよりも何よりも、まずは向き合うことを選んでいます。
これらの描写は、前回の記事で触れた、「一番いいやり方じゃないからこそ、次にいいやり方ができるように考えること」の示唆しているものだと感じました。
改めてニカと向き合う覚悟を決めたマルタンとチュチュ、そして逃げずに地球寮の面々と再会する覚悟を決めたニカ。
いずれも、一番いいやり方を選べなかったからこそ、次にいいやり方ができるように、選べなかったことを後悔しないようにするために、かつての仲間と向き合う覚悟を決めたのでしょう。
最期にあなたの名前を
ここではノレアと5号の関係の結末を見てみましょう。
たとえ逃げたとしても
火の海になったクイン・ハーバーを見て激高したノレアは、憎悪に駆られたままソーンに搭乗して出撃、ガンヴォルヴァと共に学園を破壊し始めます。
そして最悪な結末を迎えることに…。
第18話の記事でも触れましたが、そもそもノレアは5号から看破されたように、空っぽの人間でした。
確かにスペーシアンへの憎しみや怒りはあれど、ノレアはそれと同じくらいガンダムによってタヒぬことへの恐れを強く感じていました。
それでも戦わなければならない動機を持っている以上、憎しみや怒りで恐れを塗りつぶすしかない。
しかし憎しみや怒りのままにガンダムで暴れるほどに、恐れはより倍増していく。
まさに最悪な負のジレンマにノレアは縛られていたわけです。
そんな中、ニュースの映像で火の海になったクイン・ハーバーを見たことで、ノレアはその恐れを超克した(あるいはしてしまった)のでしょう。
スペーシアンの暴力によってアーシアンが虐げられる様を見たその瞬間、半ば言い訳にまで低落していた憎しみや怒りが正当化されてしまったわけです。
だとしたら、もう戦うしかない。
まだ生存している可能性が高いナジやオルコットが命を落としたものと思い込んだノレアの脳裏には、もうそれしかなかったのでしょう。
これ以上奪われないために、これ以上奪わせないために。
ガンダムに喰われる儚さと、戦わなきゃ奪われるという現実にノレアは飲み込まれてしまったわけです。
事実、暴走したノレアの戦い方は抵抗するMSを撃破するだけでなく、意味のない施設やコロニーの内壁への無差別な攻撃も行うものでした。
もはや戦いですらない、暴力を伴ったただの怨念返しになっていたわけです。
今回のノレアの立ち回りは、その結末も含めて、個人的に『UC』に搭乗するロニ・ガーベイを連想させますね。
正しくないとわかっていながらも、そうせざるを得ない。
その意味では、ノレアは「立ち止まる」ことを捨て、「進む」ことを選んでしまったのでしょう。
生きていいんだ
さて…個人的に一番切なかった5号とノレアの結末について掘り下げましょう。
エアリアル奪還に失敗して以降、立場が危うくなった5号はシャディクの元に転がり込み、自分の秘密をペラペラ話すなど、自暴自棄になっていました。
しかし前回のエピソードでノレアの心に触れてからは、かなり変化があったことが窺えます。
皮肉にも、5号がノレアに惹かれた構図はかつて4号がスレッタに惹かれた構図と似通っていました。
ただ、5話の記事で書いた4号がスレッタに惹かれた理由は5号とノレアのそれは少し違っています。
5号がノレアに惹かれたのは彼女の破滅的な一面でした。
世間を、自分の運命を恨み、間違った形でしか生きることしかできない。
そんな境遇に5号は惹かれたと捉えるべきでしょう。
これを踏まえると、第18話で5号がノレアの本質を暴こうとしていたのは、自分と彼女が同属であることを婉曲的に示すためだったかもしれません。
記事の方でも書きましたけど、生き残る以外に目的を持たない5号もある意味空っぽですからね。
生き残るために「スペーシアンを憎む」という理由を持つしかなかったノレアとは、本当はこの時点からシンパシーを感じていたのでしょう(性格と伝え方が悪すぎてノレアを逆上させるだけでしたが)。
そしてノレアのスケッチブックにあった風景画を見た時、5号はそこにノレアの本質が、希望があると気づきました。
しかし、それは同時に5号にとっての希望になったのではないでしょうか。
5号の生い立ちは不明ですが、彼の発言や4号のケースも踏まえると、身寄りのない孤児で、エラン・ケレスに成り代わることでどうにか生き残っている印象です。
しかし、4号と同じように失敗すれば処分されるか、ノレアと同じようにガンダムに喰い潰される未来が待っている。
どうあがいても、5号は5号自身の人生を送れず、誰かの事情やガンダムという呪いのために命を落とすしかない状況にあるわけです。
そんな5号にとってノレアの描いた風景画はただガンダムに消費されない、自分だけのものや世界があるという希望を持たせるきっかけになったのではないでしょうか。
だけど、ノレアは怒りや憎しみに囚われるあまりその希望を捨てて呪いを引き受ける道を選んでしまった。
だからこそ5号はノレアを懸命に引き留めたのでしょう。
自分の希望でもあるノレアの希望を失わないために。
そしてノレアの絵が、ノレアが希望であることを示すかのように、今わの際でノレアは5号に本当の名前を問いました。
まさに「自分だけのもの」があることを、ノレアは5号に指し示してたわけです。
これは誕生日を巡る4号とスレッタとのやり取りを彷彿とさせますね…。
第14話の記事で、「みなしご」であるノレアにとって5号は出会うべき「誰か」であったと書きましたが…。
ほかならぬ5号自身にとってもノレアはかけがえのない「誰か」だったのでしょう。
なお、4号と5号の違いはもう一点あります。
それはスレッタが生き残って4号が消えてしまったのに対し、5号が生き残ってノレアが消えてしまったという点です。
つまり5号は奇しくも4号と違って生き残る側になってしまったわけですね。
生き残った彼が、今後のどのような選択をするのか…注目です。
ところで、5号が出撃しようとするノレアに「逃げろよ」と叫んでいましたが、個人的に第12話を連想しました。
ノレアからは「逃げても次はあるのか」と反論されてしまいますが…今作におけるこの言葉は決して無価値なものではないと思っています。
第12話の記事ではデリングがミオリネにこの言葉をいった意味について掘り下げていましたが…。
今作における「逃げろ」は、愛する者に「生きてほしい」という願いがこもった言葉ではないでしょうか。
そんな5号ですが、暴走してウルで外に飛び出していったものの、ラストではコックピットが空になっている様が描写されていました。
一体どこへ行ったのやら…。
闇落ちしたならペイル社にぶっ潰しにいきそうですが、意外と立ち直ってスレッタの味方になる展開もあるのかも?
個人的に、もし5号が立ち直るなら、そこに4号が絡んでくる気がするんだよなぁ…。
もう消えた、夢の花
さて、久しぶりに馬鹿みたいに長い文章になってきたので…もう少し伸ばしましょう(笑)
今回のエピソードは個人的に3つの点で総括できるかと思います。
1つ目は負の連鎖。
ノレアを喪った5号が暴走してガンヴォルヴァを動かしたシーンが象徴的ですが、戦いで人の命を奪えば、それは新たな憎しみや怒りを生み出すことです。
かつてプロスペラはスレッタに大切な人を守るために戦うように促しましたが、今回の戦いにおいてその要素は一切ありません。
あるのは綺麗事が通じない、不条理と憎悪と憤怒に満ちた争いだけでした。
しかし、忘れてはならないのは、ノレアもシャディクもただ守りたいという気持ちで戦っていたという点です。
そんな無垢な想いが、最悪な惨劇を招いてしまう。
きっとスレッタは次回でそのことを肌で感じるのでしょうが、そこで彼女がどんな答えを出すのかが気になりますね。
2つ目は「誰か」は同時に自分であること。
グエルとシャディク、ノレアと5号のエピソードはいずれも似た者同士のやり取りだと捉えられます。
しかし、ノレアと5号は似た者同士だからこそ惹かれ合い、分かり合えたのに対し、グエルとシャディクは憎み合う展開になっていました。
つまり大切な「誰か」は、自分にとっての希望であると同時に…憎悪や怒りの矛先にもなり得るというわけです。
…と、このままでは暗い感じになってしまうので、最後は明るく締めましょう。
3つ目は分かり合えること。
非常時の中、スレッタや地球寮の面々は、信頼を裏切ったニカや対立していたペトラ、フェルシーと手を取り合い、スペーシアンであるセセリアとロウジの助けを得ています。
多くの学生が命を落とす悲惨な戦いの中で、対立していたアーシアンとスペーシアンがちゃんと協力し合っていたわけです。
アーシアンとスペーシアンの対立が悲劇の引き金となっている今作において、この描写は間違いなく希望となるものでしょう。
そして夢に見た学園生活が破壊された中で、スレッタがこの希望をどう拾うかが…今後展開を大きく左右する要素になっているといえます。
『水星の魔女』第20話感想
なんていうか…個人的にやっと「ガンダム」が始まった感じでしたね(笑)
平和な世界が理不尽な暴力で破壊され、悲惨な生い立ちのキャラクターが悲しい最期を迎え、致命的なすれ違いが切ない対立を生む…。
これまで数話に渡り、並行して進めてきたさまざまなキャラクターの物語をきれいに1つにまとめていたところは、さすが大河内一楼というべきでしょうか。
個人的には5号とノレアが…ツボでした。
毒舌か煽りか皮肉か婉曲的な表現しか使わない5号が、ストレートに自分の気持ちを伝える姿は…胸にくるものがありましたね。
そしてスレッタ達は平和な日常を謳歌できた学園の崩壊と同時に、戦乱と陰謀が渦巻く剥き出しの世界に投げ込まれました。
ここから彼女達がどう生きるか…次回に期待です。
▼水星の魔女の全記事はこちらにまとめてあります!
▼当サイトでは他にも多数のアニメを考察しています!
最新情報をお届けします
Twitter で2017春夏秋冬アニメ考察・解説ブログをフォローしよう!
Follow @anideep11