受け継がれるもの
どうも! ロシアスキーでございます!
今回、『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』の9話が来ましたねー。
今回で『ゾディアックサインズフェス編』も完結ということで……。
いやぁ~、ホント一瞬も目を離せない出来だったわけですが……。
まぁまぁ、今回も語ってまいりましょう!
目次
Vivy -Fluorite Eye’s Song- 第9話 あらすじ
自身の障害になる、とマツモトに対して判断したアントニオは、マツモトに対して攻撃を開始。
同時刻、ユウゴに捕まったヴィヴィは窮地に追い詰められる。
ディーバとしての人格ではなく、ヴィヴィとしての人格との接触を求めるユウゴ。
当然、そんなことを自発的に出来ないヴィヴィは、ディーバとしての人格を消去されそうになる。
自身も追い詰められながら、なんとかヴィヴィを援護しようとするマツモト。
パートナーとして、シンギュラリティ計画の遂行のために協力するヴィヴィとマツモト。
大きな壁として立ちはだかる、アントニオとユウゴ。
タイムリミットが迫る中、それぞれの思いがぶつかり合う。
という感じで……。
2話構成ではなく、3話構成となったこの『ゾディアックサインズフェス編』。
そして『オフィーリア編』ともいえるこの物語を締めくくるエピソードとして。
非常に盛り上がる展開な回でございましたねー。
ではでは、今回も気になった点を語ってまいりましょう!
オフィーリアとアントニオの関係
まず語りますはこちら。
『オフィーリアとアントニオの関係について』ということで……。
今回のエピソードのメインであったゲストキャラのオフィーリア。
そしてそのパートナーAIであったアントニオですが。
まずそもそも、オフィーリアに関しては……。
アントニオが自らAIとしての人格というか、頭脳というかの上書きを行っていた、ということで。
いや~……完全にここに関しては予想大外れだったわけですが。
表面上は、その理由というのは……。
『オフィーリアの実力が不足だから』というところにあり。
『オフィーリアの歌声を正当に評価させるため』とか『オフィーリアの歌声を多くの人間に聞かせる』とか。
そういう思いがどんどん付随されていって、アントニオはオフィーリアに成り代わり。
どうすれば成長できるのか、どうすれば歌が上手くなるのか、と。
色々と苦心するに至っていた、ということなわけでございますが……。
今回のラストのアントニオ、そしてオフィーリアの言葉を聞くに。
アントニオは、オフィーリアの潜在能力についても認めていて。
そのオフィーリアの歌声が正当に評価されることは望んではいるんだけれども……。
一番は、『自分に向けて歌って欲しかった』という。
ある種の親愛や愛欲の情があったり、あるいは独占したいという思いがあったと見えるわけなのですが。
それに対しオフィーリアもまた、『一番に歌を聴いてほしかったのはアントニオ』ということで。
……まぁ、多分オフィーリアのアントニオへの言葉ってのは。
恐らくはそういった感情ではなくって、『絶大な信頼』っていう感じなんでしょうけれども。
ただ、形は違えど。この二人は『歌で人を幸せにする』っていう使命に対して共通の思いがあって。
互いが互いに、相手のことを思っていたというのは間違いの無い部分だと思うんですよね。
もちろん、その思いのすれ違いってのが今回でいうのなら悲しい・切ないと思ってしまうポイントであり。
なんていうか、『もっと良い結末を迎えることができたんじゃあないか』とね。
考えてしまうわけなのですが……。
このオフィーリアとアントニオの関係っていうのは、歪な部分はあれど。
ある種のバランスの取れた関係、とも言えたんですよね。
アントニオは、オフィーリアの歌声や潜在能力は評価してる。
(その結果、今回描かれたような行動に出てしまったのは悲しいことですが)
オフィーリアはオフィーリアで、アントニオのサポートのことを信頼していて。
……まぁ、これは最後のシーンにおいて、私の贔屓目欲目もありますが。
最後の最後、オフィーリアはアントニオのした事に関して。
まったく怒りを覚えておらず、むしろ受け入れていた、って感じに見えたんですよね~。
結果として、成り代わられてはいたものの。
アントニオが、オフィーリアとしての評価を上げたのは間違いないでしょうから。
オフィーリアとしては、そこに対して怨みはない、ってことなのかなぁ、とも思うのですが。
本当に、そういう意味で。
この二人の間には、普通の言葉の意味とはまた違う意味での『深い信頼があった』っていうことだと思うんですよ。
だからこそ、この二人にはもっとしっかりとした対話をしてもらって。
違う結末を迎えて欲しかったですけどね~……。
ただ、この二人の間のこの関係。
これっていうのは、もう人間のそれ。
『信頼という感情』をしっかりともったパートナー関係だと思うんですよね。
もうこれに関してはこのVivyの記事を書きはじめてからず~~~っと語ってる部分ではあるんですけれども。
もうね。『この世界のAIってとっくに感情持ってるし、なんなら人間同様に思考して関係構築してとかしてるよね』っていう。
それをまた強烈に裏付ける関係だと思うんですよ。
っていうか、こんなAIがありながら、人間がなぜ『AIって感情持ってないよね~』とか。
サポートAIとか自身が『AIに感情や心とかあるわけない』って思ってるのかが分からないんですよねー。
正直なところ、その感覚のズレってのが、なんか、いつまで~も違和感なんですよねぇ。
もしかして、これが最後のキーになるんじゃあないか、などと考えつつ。
このオフィーリアとアントニオの関係はやはり。
『歪ではあったものの、確かに信頼があった』と。
私としてはそう思ってしまいますね~。
ユウゴの想い
続いて語りますはこちら。
『ユウゴのAIへの想いについて』ということで……。
この『ゾディアックサインズフェス』に入ってから登場していた謎の男。
この人物は、やはりユウゴ本人だった、ということで。
今回はユウゴの過去についても少し掘り下げられていましたね。
そもそもユウゴは前回少し描かれた部分もございまして。
『幼い頃、自分のピアノの先生であったAIに助けられた』ということと。
『そのAIの葬儀を見て、AIと人間の関係性について思うところを抱いた』っていうこと。
これらがあって、ユウゴがトァクに所属する、その思想や行動が形作られた、と。
そういうことでございましたねぇ。
まぁ、そのユウゴの想いのあれやこれってのは。
私にはちょっと、理解は出来ないものではあるのですが……。
ただ先生の葬儀について見て、それが多感な時期だったら。
ひねくれる、ではないですけれども。ちょっと考えが行き過ぎてしまうってのは。
まぁ、なんとな~く「まぁ、そういうこともあるか」とは思いますね。
結局のところ、ユウゴのその想いっていうのは。
AI……っていうか、先生への親愛の情とか、人間に対しての軽い絶望とか。
そういうのが下地にある中で、『AIさえ存在しなければ、そういった悲劇は起きないのではないか』と。
そういう考えに至ってしまった、ってことなんですよね。
だから、そもそもユウゴはトァクの思想に関して共感する部分はあっても。
根っこの部分で、全面的な同意や、服従をしていたわけではない、っていうことですよね。
そして、過去の出来事。先生に助けられたことと。
過去にヴィヴィに何度も助けられたということがあって……。
ユウゴは、『AIの中に芽生える何か』についての答えをヴィヴィに求めていたわけですね~。
これに関しても、AIに感情があるということ。
そして、それを人間が早いうちに認めてさえいれば。
ユウゴの人生って、もう少し方向性が変わってたと思うんですよね。
そういうことを考えるとですね。
この先、シンギュラリティ計画の最終的な目標。
『人類とAIの争いの回避』っていうのは、やはり『AIについての考え方・接し方』ってのがキーなんだと思うんですよ。
そういう意味では、今回ユウゴがヴィヴィに伝えた最後の言葉。
『お前の存在が不幸に追い込んだ人間がいることを忘れるな』という言葉。
これもまた、重要なことかな、と思いますね。
これまで、私は記事の中でどちらかというと、AI寄りといいますか。
そんな感じのことを書き連ねてきたのですが……。
実際、我々の想定しているより遥かに性能の高いAIが誕生したとすれば。
人間社会に対して、良い影響ばかりではないだろう、ということは想像に難しくありません。
もしもこれから先、AIと人間の争いを回避するということであれば。
やはり、『どちらの立ち位置をも尊重する』というのは大事なのではないでしょうか。
もちろん、このシンギュラリティ計画の最終着地点としては。
マツモトは『AIを全て破壊する』という言葉を使っていたわけなのですが。
……まぁ、現状その着地点からはだいぶ離れてしまっているということは理解できているのでね……w
最終局面に向かう上では、やはりその『人間とAIの関係性の変化』について。
焦点当て、行動する必要が出てくるのではないか、と。
私は、今回のユウゴの振る舞いから、そう思いましたね~。
ヴィヴィは立ち直れるのか
続いて語りますはこちら。
『次回以降、ヴィヴィは立ち直れるのか』という部分についてですが……。
今回描かれた部分として、ヴィヴィの中のヴィヴィは、消えたわけではなく。
いわば、休眠状態にあり、表層には、ヴィヴィの経験などを踏まえた上での、ディーバとしての人格があった、と。
つまるところ、ある意味で二重人格にも近いような状態と言いますか。
そんな感じだったわけでございますね。
これっていうのは、今回のオフィーリアとアントニオの状態にも似ていますね。
そんなヴィヴィとディーバなのですが。今回、ディーバはヴィヴィに対して。
歌の歌い方や、シンギュラリティ計画についての想いを伝えておりました。
……とはいえ。ヴィヴィはメタルフロート事件の時に、とてつもないダメージを受けたわけでして……。
次回以降、スムーズに立ち直れるか、というと……。
まだまだ不安は残りますよねぇ。
とはいえ、ディーバのパフォーマンスはとてもすばらしい物でした。
過去、ヴィヴィの経験などがディーバの人格形成に影響を及ぼしたことを考えるのであれば。
逆のパターンとして、ディーバの経験などがヴィヴィの精神面に影響を及ぼすことは十二分に考えられます。
それが上手く作用すれば、あるいは……という感じでしょうかねぇ……。
後は、やはりもう問題となる100年後の未来までの時間が少ないですから。
ヴィヴィの立場的に、あまりもたつくわけにもいかないっていうのもあるでしょう。
そうなってくると、やはり早いうちにヴィヴィには立ち直ってほしいものですが……。
それもこれも、ヴィヴィ自身、シンギュラリティ計画について思うところもあるでしょうから……。
どうなるか、というのは見所、見物でしょうねぇ……。
ヴィヴィは結構、根っこの部分は頑固といいますか、強情な部分がありますから。
一度立ち直りさえしてくれたら、一気にラストまで駆け抜けてくれるとは思いますので。
ここから先、ヴィヴィがどう立ち直るのか。
そしてその時、どんな事件に立ち向かうのか。
これについては、かなり力入れて描かれるでしょうから。
その瞬間こそ、盛り上がりの最大風速は相当なものである、と。
私、そう予想しておきましょう!
心を込めて歌う方法とは
続いて語りますはこちら。
『心を込めて歌う方法』についてということで……。
ディーバがすでに実践していて、ヴィヴィやオフィーリアがたどり付けていないその境地なのですが……。
ここでの問題は、『AIが』心を込めて歌う方法、っていうことですよね。
人間のアーティストだったら、ここに関してはそれこそ感覚的に理解できるのでしょうが。
AIにしてみると、その込めるべき『心』ってのが問題になってくるわけですよね。
これなんですけど、実際のところ、私としては本当に。
『答え自体ももう感覚的なものだ』としか思えないんですよね。
例えば『スタッフへの感謝の気持ち』であるとか。
例えば『歌うこと自体を楽しむ』ですとか……。
そういう、本当に人間のアーティスト同様、そういった気持ちなんかを大事にしていくことこそカギである、と。
そういうことだと思うんですよ。
ただ、問題としてAIはその『感情』とかっていうのがデータとしてしか理解できないというか。
そこの部分の本当の意味での理解ができないからこそ、ってのがあると思うんですよね。
ただそうなると、ディーバはそれが出来ているんですよ。
つまりそれは『AIが心を込めて歌うことは不可能ではない』ということの証拠でもあります。
問題として、ディーバがなぜそれを理解できていたのか、っていう部分はありますが。
そこについても、やはりヴィヴィは特別なAIである、ってのがあると思うんです。
なので、ヴィヴィ自身がそこにしっかりと気づくことさえ出来れば。
もう、きっかけはなんでもいいと思うんですよ。
別段、感情のなんたるかを理解しきる必要とかは全然無いと思うんです。
歌えることへの感謝とか。歌うって楽しいな、とか。
そういうところから、心や感情について理解を少しずつ深めていければ……。
ヴィヴィもまた、ディーバ同様のパフォーマンスを発揮できると思うんですよね。
なので、そういった形でヴィヴィが感情について触れることができれば。
あるいは、ヴィヴィのパフォーマンスだけではなく、振る舞いなども変化してくるかもしれませんね。
なので、今後のヴィヴィがそういったものを理解していけるか。
それこそ、ヴィヴィのパフォーマンスの進化のキーになるのは間違いないでしょうね~。
Vivy -Fluorite Eye’s Song- 第9話 感想
さて、ここまでVivy -Fluorite Eye’s Song-の9話について語ってまいりましたが。
その9話の個人的感想といたしましては……。
いや、すさまじい出来だなぁ……。
今回は、シナリオの盛り上がりもそうなのですが。
アクションシーンの描写であったり、ライブシーンの描写であったり……。
なんといいましょうか。ホント、手抜きのない。ガッチガチの本気の出来だったな、っていう感じですよね。
また、ヴィヴィの中のディーバがいいキャラだったのがねぇ……。
なんていうか、ヴィヴィってシンギュラリティ計画に戻るのが幸せなのかなぁ、とか。
そういうことまで考えちゃうんですよね~。
ただ、いよいよ物語はクライマックスを迎えます。
ここから先は、さらに感情を揺さぶられるのは間違いないでしょうから。
この強烈な余韻といいましょうか。
それに浸ってばっかりもいられないよな! っていう気持ちですよね。
また次回からは新エピソードでございますから。
これはもう、ホント一瞬たりとも目が離せませんね!
ということで、以上ロシアスキーでした! また次の記事でもよろしくお願い致します!
▼Vivyの記事はこちらにまとめてあります
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コメント
>っていうか、こんなAIがありながら、人間がなぜ『AIって感情持ってないよね~』とか。
正史だと、オフィーリアの自壊をきっかけに人々の間に「AIにも心や感情がある」って見方が広がり、後のAI史に大きな影響を与えたらしいですけどね
まあ、元からAIに人権を認める法律があって、正史だと冴木とグレイスの結婚まであったわけですが
ってか、オフィーリアの自壊は防いだけど、あれだと端からは心中にしか見えないし、本当にコレをミッションクリアと言っていいのか、マツモト・・・?
>サポートAIとか自身が『AIに感情や心とかあるわけない』って思ってるのかが分からないんですよねー。
実は「AIに感情は無い」と断言したのはヴィヴィに出会う前の相川議員と60年前のサポートAIであるナビと計画の合間は休眠してるから人生(AI生?)経験が薄いマツモトだけなんですよね
冴木はグレイスに感情があるのを確信してましたし
ユウゴも過去のトラウマからAIが人間に近づいていくのを恐れてたのが判明しましたし(逆説的にヴィヴィが心を持ってるのを確信してたから執着してた)
M(グレイスの末端)は「心の定義が曖昧だから答えられない」とは言いましたが、同時に「人間に奉仕することに満足感を感じてる」とも告げました
エリザベスもオフィーリアもアントニオも「自分の気持ち(感情)」を自覚して消えていきました
ディーヴァに至っては「心を込めて歌う」事を「初歩的な問題」と言い切ってましたね
>ディーバがすでに実践していて、ヴィヴィやオフィーリアがたどり付けていないその境地なのですが……。
オフィーリアってか、アントニオが、でしたけどね
まあ、「本当はオフィーリアの歌を独占したいけど、オフィーリアの歌を大勢の人間に認めさせたい」なんて自分の矛盾に気づかない有様じゃ心を込めて歌うなんて無理な話でした
アントニオの関与なしの素のオフィーリアがディーヴァと出会ってれば「心を込めて歌う」境地に至れた気がします
なにしろ彼女はアントニオに「感謝」という感情を(あるいはそれ以上の感情も?)持ってたわけですから
>だから、そもそもユウゴはトァクの思想に関して共感する部分はあっても。
根っこの部分で、全面的な同意や、服従をしていたわけではない、っていうことですよね。
AIであるエリザベスを拾って使ってたのが、彼が単純にAIを憎んでるわけではない伏線だったのでしょうね
それにしてもAI先生に助けられたのがトラウマだったのに、ヴィヴィに二回も助けられ、さらにエリザベスにも助けられるという、何とも皮肉な人生でしたね
(多分、正史じゃ早い段階でタヒんでたでしょうけど)
>……まぁ、現状その着地点からはだいぶ離れてしまっているということは理解できているのでね……w
計画だけでなく、マツモト自身にも確実に「変化」が生じてますね
やむをえなかったとはいえ平然とオフィーリアを破壊してる辺り、モモカを見捨てた時の冷酷な一面は健在ですが、
同時にヴィヴィとディーヴァにはかなり感情移入し、アントニオに対いしても自分を重ね、「あなたにならなくて良かったですよ」とヴィヴィ・ディーヴァの存在を肯定してます
またアントニオに自分の使命を否定された際、
「他人に言われると思いのほかムカつきますね」と感情を露わにし、同時に自分の今まで安易にヴィヴィやディーヴァの使命を軽んじる発言をしてたのを悔やむような様子を見せてます
>後は、やはりもう問題となる100年後の未来までの時間が少ないですから。
と言っても、現在60年目で、あと40年もありますけどね
まあヴィヴィが6話でスリープしてから7話までの間も一気に40年が経過しましたが
果たして、あと4話でどう消化し、どのような決着に至るのか・・・・・・
>なんていうか、ヴィヴィってシンギュラリティ計画に戻るのが幸せなのかなぁ、とか。
そもそも計画の本質がAIの否定ですからね
しかもユウゴが告げた「天恵」など、怪しげな力も動いているようです
果たして正史でもアントニオのオフィーリアの乗っ取りはあったのか、そもそも正史でも自壊だったのか気になるところです
名無しさん
コメント、ありがとうございます。
マツモトの変化については、描写の仕方がうまいですよねー。
些細な変化が、今までのマツモトではありえないからこそ。
あ、コイツ変わったな~、と思うという。
ただ、そんなマツモトだからこそ、シンギュラリティ計画の行く末がちょっと不安にもなるというw
ご指摘の通り、今回の解決方法というか、オフィーリアの姿を見たとき。
人類はどういう判断を下すのかは気になるところですね。
ユウゴに関しては、一言で言うと『こじらせちゃったなぁ』という感じでしょうかw
それだと説明が雑になりますけれども、とことんまでAIに助けられる人生というのは。
ある種の運命的な何かを感じますね。
AIの感情に関しては、もはやあるということは間違いないのでしょうが。
そこで気になって来るのはやはりご指摘の通り、『天恵』というユウゴの言葉ですね。
それが外部からの何らかの接触なのか。
あるいは、AIの感情から生じる。つまり内部からの何かの接触なのか……。
この辺り、クライマックスで一気に説明されそうですから。
心構えはしておいたほうがいいかもしれませんね!
実際のところ、AIでもない視聴者が「心を込めて歌う」がどういうことかわからない、というのは面白いですよね。人間でも実はわからない。
ただこれは、「心が存在する」と決めつけるから難しくなると思うんです。人間でも心自体を直接見れないのだから、そもそも「心というもの」は存在しないのかもしれません。ただ、「心が動く」有様は見える。
つまり、心とは感情等の状態なのであり、心自体を定義しなくても心を込めることはできるんです。歌う時に感情を、誰かのため、何かのため、想いを込めれば「心が動いて」歌っているように見える。
人間でもしばしば難しいのは、歌う行為に想いを込められないからです。DiVAが、心を込めることが基礎だと言ったのは、歌で人を幸せにするためには歌の技術やパフォーマンス的にも優れている必要があったから。それがDIVAとしての40年間の積み重ねなんです。
なので、ここからの話は紛れもなく「心が動く」を実現してしまったAIが、道具扱いする人類と戦う話になりますね。何故なら「心はあるか」という答えの出ない問いによって、人類はAIが「心が動く」存在と認められないはずですから。
これは、人類が自分達と全く違う「心が動く」存在を作り出し、育て、100年かけて別の種族へと独立していく物語なのでしょう。
名無しさん
コメント、ありがとうございます。
あ~、そう言われると。
私も、歌を歌う、っていうのに関して少し縁があったことがありますが。
「本当に心を込められてるか?」と問われると、疑問かもしれないですね。
むしろ、『技術的な面ばかり意識していたかも』って、今なら思うかもしれないですね。
技術もそうですが、それに足して『心を込める』『心を動かす』っていうのがカギになる。
確かにここが、物語の重要なキーになってる感じですね!