旅は続く。民は生きる。
はいどうも、ロシアスキーです!
今回でどろろも最終回ということなんですが。
いやぁ~……ねぇ?(なんだよw)
ままま、語りましょう語りましょう。ここまで来たらまず語りましょう。
スポンサーリンクどろろ 24話あらすじ
二人の戦いにより城は燃え、どろろ、お縫、寿海もまた二人の戦いの場へと向かう。
戦いの中、百鬼丸は多宝丸から何かを感じ取るが、それでも戦いは止まらない。
百鬼丸とどろろの運命は? 戦いの行く末は? 百鬼丸は肉体を取り戻せるのか……!?
という感じで、正に最終話、という感じでございましたねぇ。
ではでは、要点について語って参りましょうか……。
いやぁ、しんみりしちゃうなぁ……。
スポンサーリンク百鬼丸・多宝丸・お縫・景光の関係について
いやぁ、今回たった1話で百鬼丸の家族関係の問題が一気に解決するとは思いませんでした……。
てっきり、何らかの形で解決しない物が残ってくると思ってましたからね……。
まず多宝丸ですが。百鬼丸との戦いにおいて多宝丸は自分自身の持つコンプレックスというか……。
自身が百鬼丸へと固執するその本質、根源である嫉妬やその原因を見抜かれ、おまけに命を救われました。
それにより確執は無くなり、百鬼丸を兄上と呼ぶまでに至りました……。いや、ここ最高だった……!
お縫さんはお縫さんで、自分の過去や醍醐の国自体とも向き合い……。
百鬼丸への未練にも決着をつけ、更に多宝丸を無意識にないがしろにしていたことを認め。
最後は多宝丸の傍で、その心を救うような行動を取ることができました。
これはまた多宝丸の最後の救いになりましたね~……どこか距離のあった親子の関係が修復される瞬間……。
これはまたお縫さんの心も救われたってことでね。恐らくですけど、百鬼丸に寄りすぎても良くなかった。
最後に多宝丸を見捨ててしまえば、きっとそれは心の傷になってしまった。しかも生涯消えない傷ですよ。
それを直前で回避できたっていうこと。それこそ、百鬼丸の存在あってのことですよ。
百鬼丸が旅して、足掻いて、たどり着いたからこそお縫さんがそこに気付けた。やるべきことに、っていうね……。
そして、そして景光ですよ……!
最後の最後まで醍醐の国の主、領主であるという矜持を持ち戦いに臨んだ上で、ですよ!
最後、百鬼丸に命を救われた景光が気付いてしまった自分の罪、そして過ち。
ここで面白いのは『やらなけりゃ良かったなぁ』ってのが、いわゆる人としての道徳、それこそ罪悪感に根ざしていたものでなくて。
『あ、これ鬼神と契約しないで百鬼丸をそのまんま育ててたら天下取れてたな』と直感したことによる後悔な訳ですよ。
あくまでも最後の最後まで領主。父ではなく、領主としての景光という根幹はブレてはいない訳です。
ただ、その雰囲気を漂わせながらもラストのラストの慟哭、嗚咽? これねー、堪らない……。
もしかしたら、もしかしたらですよ!? これ私の思い込みっていうか考えもありますけど。
もしかしたら、天下統一し、妻、息子、そして次男と自分。
そんな家族四人が幸せに暮らし、民もまた幸せに満ち溢れている。そんな世界を幻視してしまったんじゃないかなぁ、とも思うんですよ。
もちろんコレは私の考えです。あくまでも景光は天下を掴めなかったその口惜しさから泣いたのかもしれません。
ですが、そこに微かに父としての後悔があってもいいんじゃないか、と思うんですよ……。
そして何よりも。百鬼丸がまた人としてしっかり成長していったということ……!
多宝丸を救い、お縫に『おっかちゃん』という思いを抱き、景光を討たず。
もう、これはもう寿海の存在、どろろの存在、みおの存在、琵琶丸の存在。
もっともっと他にも、旅で出会った数々の出会いもあっての成長。そうまさに成長したわけですよ。
ここにきて、最終話にきて百鬼丸がただの復讐装置でなくなったという事実。
これがまたね~。この醍醐一家の生き様そしてそれが紡いだもの結実させたものとしてね~……。
決してこの旅は、そして戦いは無駄ではなかったぞ、という象徴なのではないかと私は思います。
なんていうんでしょうね。これもまた、家族が故であったなぁ、と強く思いましたね。
決して、手放しで認められる幸せな家族ではなかったのかもしれないんですけど。
ここまで見届けてきて、これもまた、家族やな……って思いましたね。
まぁ、巻き込まれまくりの醍醐の民にしてみたらいい迷惑な話なんでしょうけどw
スポンサーリンク本編のその後についての予想
今回最後に描かれたこちら……成長したどろろと……。
同じく成長した百鬼丸の姿。いやぁ、感慨深いものですが。
これはもう、予想っていいますか。私の妄想みたいなものなんですけどw
『百鬼丸とどろろはその後再会はしたのかどうか?』という点について語ってまいりましょう!
まぁ、ここの部分については皆さん思うところが個人個人あるでしょうから。
あくまでも私の考え、私の希望である、という所はご理解くださいませ。
まず結論から言いますと。私は二人は再会をしたと思っております!
これは最後のシーンで描かれたのがイメージだけではなく、将来の姿そのものだったのではないか、という思いもありますし。
百鬼丸がどろろの元に戻らない理由も特に無い、という観点からの考えでもありますし。
まぁ当然。単純にそうあってくれ! って思いもあるんですよ!
いや。言うならこの思いが一番強くそう結論付けている部分ではあるんですが!w
ただまぁ、百鬼丸はどろろに関してはとても大事に思っているでしょうし。
なんなら大人になったどろろが百鬼丸を探して旅に出てもいいと思います。
この二人にとっての旅って、決して辛いだけのものではなかったと思うんですよ!
それこそOPとかEDでも描かれていたように、どこか安らぎもあったんじゃないかと思うんです! 本編で描かれてなかったとしても!
その旅はきっと、二人の中に絆とか、なんか深い繋がりを生み出したと思うんですよ!
なんなら運命とか言ってもいいですよ。運命力、引力と言ってもいい。
だからこそ、きっと再会できる。再会したんじゃないか、と思うんです!
後は私が強くそう思う理由としては最後のナレーションですね。
琵琶丸が感じ取った、この先の未来。決して暗いことばかりではないのではないかという直感。
それはある種、心眼にも近しい未来予知じみた力の持ち主でもある琵琶丸が感じ取ったことだからこそ。
だからこそ、きっとこの二人は再会することができたのではないか、と思っているのです。
……いや、まぁ。正直希望でしかないんですけどw ただまぁ、いいじゃないですかw
最終回でのその余韻についてくらい、希望塗れで語ってもいいじゃないか……!
どろろ 続編2期の可能性について
最終回を迎えた、ということで。私が書く記事では毎回語らせていただいているのですが。
この『どろろ』について。続編はあるのかどうか、という所について語りましょう。
えー……まぁ。多分無いと思います。この続きの放送w
そもそもどろろって原作がいわゆる未完の作品でありますから。終わり方うんぬんって言うなら不備や問題は無いんですよ。
なのでこのリメイク版どろろに関しては、やりなおす必要はまず無いわけです。
じゃあ、この続きを描く、という観点から見ますと。
……まぁ、やる必要は無いですよね。正直これ以上描くのは蛇足ですよ。蛇足。
最後の最後、道を別った二人がもう一度再会したのかどうか……。
ここをあえて明確に描かないからこその余韻な訳ですよ!
これを描いちゃうのは正直言って蛇足! っていうか余分! そういうのいらない!
いや、もちろん描いて欲しいという思いはありますがそこに想像の余地があるからこそ面白いんですよ!
なのでー。そういう観点からも続きとかはやらないんじゃないかな、とは思いますね。
ただまぁ、続編は無いにしろ、手塚治虫先生の作品の再アニメ化や、新規アニメ化は続いてもいいのかなぁ、とは思ったり。
『鉄腕アトム』や『七色いんこ』。『ブラック・ジャック』や『火の鳥』に『アドルフに告ぐ』とか『三つ目がとおる』とか……。
(この中だとアトムとブラック・ジャックはアニメ化に恵まれてんだよなぁ)
ただまぁ今回のどろろって、アニメ版放送50周年という節目での復活だったので。
手塚治虫作品アニメ化の波、っていうのはそうそうこないのかなぁ、と……。
まぁ! わからないですけど!w ただ、すんなりとどろろが続く、ってのは無いと思います。
って予想して裏切られたら笑いますけどw 私、予想とか外すの定評がありますのでねw
スポンサーリンクどろろ 24話 感想
さて、いよいよ最終回を迎えたどろろについての感想なんですけど。
……面白かった……面白かったぁ……!
いやホント、途中諸事情で記事を書けなかったのが悔やまれるぅ……!
いやもう本当にイイ出来でしたよ。本当に、本当にね。
ただまぁ、多少気になる部分が無いわけでもないんですよ。それはまぁ確かに。
ただそんなことぶっ飛ばして面白いといえる熱量がありました。
バトルシーン、百鬼丸の懊悩、どろろの可愛らしさ、家族の絆。
それらが本当に見事に噛み合っていました。そしてそれを良くぞまとめてくれた! と。
もうその思いで胸が一杯ですよ。本当に感謝しかない。
……感謝しかないんですけれども。ちょっとまぁ思うところが無いでもなくてですねw
その辺りはまた、語ることがあれば、ということでw
ただ今回このリメイク版どろろを見た上でですね。私は今原典版どろろの視聴に乗り出そうかとしております。
いやぁ、せっかくだしね! 見ておかないと! 比較する為にも!
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▼アニメとは大きな違いがある原作も要チェック!
▼今風な絵で読める原作をリスペクトしたリブート版
ただねぇ~……ホント、個人的には欠点が無かったと言ってもいいほどの作品でございましたよ。
惜しむらくは、作品が作品だけに地味な部分があったかな、ってくらいですよ。
後は、ラストの結末に関しては容易に予想ができてしまった感もありますが。
まぁ、逆にこういうストレートなラストの方がいいと思います。えぇ。捻ればいいってもんじゃない。
なんにせよ、本当に楽しませていただきました。
この作品の記事、書かせてもらえてよかったなぁ、という思いで一杯でございます。
ここまでお付き合いいただいた皆様にも、感謝感謝です……!
以上、ロシアスキーでした。次回の作品の記事でもよろしくお願いいたします!
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コメント
いや~、終わりました。
結末を、やや原作よりにしての、お別れEND。原作のイメージを壊さず、綺麗にまとめたのは、お見事です。スタッフに拍手。
思えば、原罪と言う意味で言えば、罪人だらけの物語でした。
景光の奥方が、多宝丸の心を放さなければ(というか、多宝丸の心を掴んだ事があったのか?。)、多宝丸は嫉妬によりアベルをコ口したカインの様にはならなかったと思う。
寿海は…、百鬼丸を助けるべきではなかったのかもしれない。少なくとも、百鬼丸を助けた事により寿海は罪の意識を持っている様に思える。一サツ多生、大乗の教えとして、寿海には重い言葉かもしれない。
そして、百鬼丸に原罪を背負わせた醍醐景光(私は、醍醐景光=国の民全ての原罪。と思っている。)。百鬼丸が原罪を背負いタヒねば彼は醍醐の国の救世主になれたかもしれないが、そんなの真っ平御免とばかりに修羅の道。
でも、最後に百鬼丸は、無原罪(無垢な赤子)の者として醍醐(民)を許している。
その理由は、百鬼丸の背負った原罪を、百鬼丸の母、寿海、多宝丸が代わりに背負いタヒんで行ったからではないかな?、そして何より、「どろろ」がいたからこそ、百鬼丸は修羅の道から脱する事が出来たと思う。
では、「どろろ」って何だったんだろうと考えると、やっぱり「どろろ」は………………、
「どろろ」、なんだよなぁ~。と言う結論。
う~ん、長文で誇大妄想なのは何時もの事だけど、チョット宗教的なコメントになってしまいました。(ご免なさいね。)
ではまた、origin ガンダムの最終回でコメントするかもしれないので、記事の方、楽しみに待っています。
さようなら~。
てけり・りさん
コメントありがとうございます。
このどろろに関しては、割と賛否両論でございますね。
個人的には、納得の出来る終わり方に満足、そして途中途中の描き方の雑さ、もったいなさに不満ありあり、という感じでございまして。
でもまぁ、総じて非常に良い出来だったのではないかなぁ、と思います。
百鬼丸はじめ、キャラへの思いはほぼほぼてけり・りさんの仰ってるところが私の気持ちと同じでございますね。
そういう意味では、非常に分かりやすい、原典どろろへの入門として、このどろろはそういう立ち位置の作品とも呼べるのではないでしょうか。
途中、記事を書けずに申し訳ありませんでした。
また別作品でも、コメントいただけますと非常に嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
24話の最後の最後まで普通にワクワクとハラハラで見てました。が、最後の黄金に輝くバックで振り返る百鬼丸の画で物凄い恐怖というかツラさというか何かのトラウマ的な異常な感情を抱いてしまい、再度見直すことが怖くてできなくなってしまいました。
何だろうこの感じは、と戦ってやっと2回目の視聴を一昨日しました。
私だけじゃないみたいです。チラホラいるみたいです。
と前置き長くなりましたが、私は離別後[会えない派]でして、凄く納得いく神話説を見て一旦[会える派]になりましたが、二度目視聴とネット巡ってたらまた[会えない派]に戻ってしまいました。
何も言わずに出てく男は絶対帰ってきません。また百鬼丸は[巣立つ]のが好きです。巣立ったらもう戻ってきません。
だからです。
また自分を確かめに行くのにどろろ連れてったら危険ってのがね、ちょっと意味わからない。人に生まれ変わったのに。もう鬼神いないのに。
もう会わないフラグですよね。
ナナシさん
コメント、ありがとうございます。
え~? あのラストシーンで、恐怖や辛さ、見たいな感情を想起される人がいるんですね。
なんでだろ……自分は爽やかさしか感じなかったのですが。これ、ちょっと考察・研究に値する部分かもしれませんね! 興味深いです!
で。離別後についてなのですが……。
ナナシさんの仰ることも、ちょっと理解できますw 自分は男なんで、何も言わずに旅立つキモチが分かるんですけど。
でも、ナナシさんの仰ってることって結構的確だと思います! 男ってフラっといなくなると帰ってこない部分あるからなーw
個人的には、どろろにはどろろの人生があるから、って考えて連れて行かなかったんだと思うんですけど……。
こればかりは、百鬼丸にしか分からない胸中、ってやつですかね~……。
コメント失礼します。6話までの記事を、楽しみに拝見していた者です。久しぶりに来てみたら、23-24話の記事を更新なさっていて嬉しくなりました。
おっしゃるとおり、まさに家族の物語だったなぁと思います。嬉しかったのは、多宝丸と縫の方に確かな救いがあったと思えたこと。そして、百鬼丸に慈悲を示された景光もまた、いつか救われて生きていけるんじゃないかなと思いました。
また、アニメで最も嬉しかったのは、みおの尊厳が守られたこと。6話もそうですが、ラストの黄金の稲穂に心満たされて。原作読んで以来のトラウマが消えました。
ラストは原作お別れENDを尊重しつつ、思いっきり再会ENDに寄せてきたなぁと思いました(笑)赤子の百鬼丸が流されるのを桶→舟に改変したり、OPで百鬼丸にお日様を重ねたり、種籾を持たせたり。このアニメは「百鬼丸は蛭子(恵比寿)」と強く主張してますね。蛭子は最後に流れ着く所に繁栄をもたらしますから。百鬼丸が人の道を歩いて、どろろの待つ国に帰ってきたとき種籾は芽吹くでしょう。
ネットを徘徊してると、『戦国に向かう』ナレで恐々としてる方もいますが、加賀の国ならば希望の言葉です。100年続く百姓の持ちたる国の幕開け、日本一の稲生産地にのし上がる、加賀の黎明期を観させてもらえたんだなぁと感慨深いです。
長々と失礼しました。これからも時々覗かせていただきます。
たぬぬさん
コメント、ありがとうございます。
いや、本当に大変お待たせして申し訳ありませんでした。
本当に、色々語りたいことがあったのですが……悔やまれる……!
なんだか、このリメイク版どろろのラストに関しては、様々な意見が飛び交ってるみたいですね。いいことです。
色々な考察が出てくる、ってことは、それだけ視聴されてる、ってことですからね!
加賀の国の歴史、という逆説的ラストシーンの解釈はおもしろいですねー! なるほど、と膝を打ってしまいました。
ただ、この後戦国時代は当然永遠には続かず。時代は、次第に外国との関わりが増えていき、そして日本は……。
なんて。現代人としてはしんみりしてもしまいますが。本当に、いいラストだったとは思いますね!
ではでは、また別の作品にて、コメントいただけると嬉しいです!
コメント2回目、失礼します。
本当に、人によってこれほど受け取り方が違うのですね!視聴した多くの方、それぞれの中に「語らずにはいられない何か」を残したのでしょうね。
マイナーな意見かもしれませんが、私は19話(おこわちゃん回)に思いを巡らせています。およそ『どろろ』らしくない、豊かな村と優しい人々。天邪鬼の影響を受けてさえ壊れない幸せ、祝言だなんだと楽しそう。あれは、ふたりぼっちのかわいそうな子どもの前に、神様が見せた桃源郷ではなかったでしょうか?
刀鍛冶は、百鬼丸の刀を供養し、「争いを止める刀」の祈りを込めてくれました。百鬼丸が家族を斬らず、因果だけを斬れるように。それならば、あの村に描写された他のことにも、意味があるはずと思います。
「この2人はこれからも過酷な運命を行く」と送り出された百鬼丸&どろろ。しかし運命の果てには、剣を捨て、飢えもせず、当たり前の明日を享受して生きろという祝福だったのではと感じます。
明らかに毛色の違うギャグ回、しかもアニメオリジナル。ただの息抜き回ではないはず。本当のラストは24話じゃなく、19話こそがゴールではないかと思うのです。
たぬぬさん
コメント、ありがとうございます。
19話については、私も結構お気に入りだったりします。
ギャグ回の様に見えて、百鬼丸とどろろの絆の再確認、再スタート、という意味合いの強い回なのかな、と思ってました。
たぬぬさんの言うように、どろろの各エピソードには、象徴するものや、隠された意味があるのかもしれませんね。
そういう風に考えると、また違って見えてくるかもしれませんねー。