似ている者同士だとして、分かり合えるものなのか。
分かり合えないとすれば……。
はいどうも! ロシアスキーです!
無限の住人の五話が放送されましたねー。
今回はガッツリバトル回だったので、前回のインターバルからの反動でメチャクチャ燃えましたわー!
さてさて、では早速参りましょう!
スポンサーリンク無限の住人 IMMORTAL 第5話 あらすじ
二人が茶屋で休んでいると、万次に声をかける一人の僧が現れた。
逸刀流の人間と名乗るその僧、『閑馬 永空』を撃退する万次であったが。なんと永空もまた、血仙蟲の持ち主であった。
永空の策により追い詰められる万次。万次の身を案じ、医者を探しに出た凜は永空にさらわれてしまう。
不タヒ対不タヒ。血仙蟲の持ち主同士の戦いの結末は……。
ということで、今回は万次が同じ力を持つ男と戦うお話でしたね。
ではでは、要点について語っていきましょう。
スポンサーリンクなぜ永空は子供を見逃したのか
今回まず語りたい点はここ。
『永空はなぜ、老婆は斬っても子供を斬らなかったのか』という点についてです。
まぁ……これについては色々と考えられるのですが。
まずメタ的な部分として『創作において子供が犠牲になるという事柄は非常にデリケートな問題である』という部分があります。
もちろん数多くの作品の中には、子供が酷い目に遭う作品も無くはありません。
ですが、それを主に置いた作品となるとその数は極端に減るかと思います。
これは国内だけではなく、世界共通の傾向でございまして。
っていうか、外国の方がこれに関しては敏感だったりしますね。
なので、まずはそういった部分に関する配慮もあるのかな、と。
そしてもう一つ。『老婆と違い、赤子は何も出来ない存在である』という部分もあるのではないかと思います。
老婆もまた、か弱い存在ではあるのですが……。
赤子と違い、助けを呼ぼうとしたり、逃げたりということができます。
対して赤子は本当に何も出来ない存在なんですよね。
なので永空としても放っておいても問題などない、と判断した可能性はあると思います。
まぁ、後はその子供を見逃した、ということこそ。
永空の中に残されていた人間性の発露である、ということもありますかね。
長きを生き、剣鬼となっていた永空の中に僅かに残っていた良心、とでも言いますか。
そういうものの現れだったとも取れるのかなぁ、なんて。
まぁ、これらはあくまでも自分の予想でしかないのですけれども。
今回のエピソードを見た限り、永空は決して外道な悪人では無いとは思うんですよね……。
スポンサーリンク血仙殺の正体とは?
今回永空が万次相手に使った、不タヒ破りの方法、『血仙殺』という毒。
なんでも永空はチベットを徘徊している時にこれを入手した、ということなのですが。
実際の所これはどんなものなのか。ちょっと考えてみたいと思います。
そもそも、血仙蟲の正体も今のところは不明なのではございますが……。
そも、チベットという国にはチベット仏教という仏教がございまして。
これがまたとんでもなくでかいわ深いわな宗教なんでございます。
そんで、そこの僧の中に伝わるものとしてチベット医学というものがありまして。
これまた独特でありながらも未だに研究が行われている伝統医学とのことなんですね。
で。ここからが本題なのですが。
このチベット医学やチベット薬学を学んでいた『ダシ=ドルジョ・イチゲロフ』さんという僧の方がいらっしゃいまして。
その方。なんと75歳の時に「30年経ったら私のことを掘り起こしてくれ」と言って、お寺の中で息を引き取ったらしいんです。
それを確認した後、弟子の皆さんが埋葬するのですけれども……。
30年後、掘り起こしてみるとなんと体は腐敗しておらず、関節も柔軟なままだった、とか……。
更に凄まじいのは、確実にタヒんだはずのダシ=ドルジョさん。
とある寺院に安置されることになるのですが……。
噂では、時折目が開く、だとか。
2016年には、防犯カメラの映像で、夜中にゆっくりと部屋の中を動いていた、とか……。
ちょおぉぉぉおっと恐ろしいお話ですよねぇ……。
で、何が言いたいかと言いますと。チベットには独特の教えや医学があり、それは不タヒに連なる物があってもおかしくない、と。
と、なると。当然不タヒを悪用されぬよう、不タヒに対する薬物があってもなんら不思議ではないと思うんですよ。
なので、実際の所は恐らく血仙殺は、毒ではなく『不タヒを解除する霊薬』というものなのではないかと私は睨んでいるのですが。
……そうなってくると、血仙蟲もまた、蟲と言ってはいるものの、その正体は薬。
あるいは、例えるのならナノマシンのような、医学的な何か、なのではないかとも思えます。
八百比丘尼が血仙殺のことを知っているのかどうか、という疑問もありますが。
この世界の八百比丘尼は、人魚の肉を食べて不老不タヒになったのではなく。
実はチベットに関係する僧、という可能性も出てきたかもしれませんね。
……まー、実際今後八百比丘尼が出てくるとして、そこがしっかりと語られる可能性があるのかどうか、って感じですけれども。
全ては、人魚の肉の力だなんだ、という事ではなく。むしろ医学的・薬学的な何かの奇跡って可能性もあるってことは。
少し念頭に置いてお話を見ていったほうがいいかもしれませんね!
永空の心境
今回万次も自ら語っておりましたが。
万次対永空の結末は万次の勝利となりましたが、その結果は万次にしてみれば勝利を譲られる形に他なりませんでした。
この、『なぜ永空は万次に勝ちを譲ったのか』という点についても考えてみましょう。
……といっても、難しいことはなくて。永空も口にしていたことこそ理由なのであるとは思いますが。
この辺りは、永空がさながら伝承の八百比丘尼その人のような立ち位置となっているということですよねー。
長すぎる生は、無数の別れと心の磨耗を引き起こす、といいましょうか。
永空が生きていく中で、きっと様々な経験をしたことでしょう。
そして、見たくもないものもきっと数多く見てきたのでしょう。
恐らくではありますが、永空は生き続ける中で、いつか『不タヒではなくなりたい』とか。
『この長すぎる生を終わらせて欲しい』と思っていたのでは無いでしょうか。
あるいはそれは、逸刀流の誰かの手によって、とか。
逸刀流の行いによって復讐を誓った誰かの手によって、ですとか。
そういうことを無意識に望んでいたからこそ。永空は万次や凜の前に立ちはだかったのではないかとも思えます。
ただ、永空もまた血仙蟲の持ち主ですから。生半可なことでは倒される訳もなく。
長く生きたが故、永空自身も強者になってしまっていたのもあり、なかなかその願いは叶わなかった、と。
だからこそ、同じ不タヒの能力者である万次ならば、という思いがあったのかもしれませんね。
永空が何時からそう思っていたのか。いや、もっと言えば本当にそんなことを願っていたのかも不明ではありますが。
それこそ、子供を見逃していたという人間性があるからこそ。
永空は、自分を止めてくれる相手を捜し求めていたのでは? と。
私はそう考えてしまうのですよねぇ……。
スポンサーリンク無限の住人 IMMORTAL 第5話 感想
さてそんな第5話の個人的感想なのですが。
……改めて、面白いなぁ。無限の住人。
なんていうか、今までもちょこちょこ思っていたんですけど。
敵役の逸刀流の面々が、個性的かつ『どこか人間くささがある』んですよね。
単なる悪役ではない。それぞれが思惑とかがあって、それぞれに生きている。
そして当然万次や凜もまた、思いや生き様があって。
それがどうしても衝突しちゃって、哀しいまでに美しい戦いを描いている。
なんていうんでしょうかねぇ。本当に、時代劇。本当にロマネスクなんですよねぇ。
単純に全編通して、『敵は悪いやつ! 倒すべし!』とか。そういうテイストでない。
だからこそ、物語に引き込まれるし、キャラ一人一人に想いを馳せてしまう。
本当に、その基礎がしっかりしているからこそ面白いと思いますね!
ただ、面白いと思う反面。『地味っ!』っても思っているのですが。
いいんですよ。時代劇なんですから。派手さなんて頼らなくてもいいんです。
そういうのは今や幾らでも溢れてるんですから。こういうのがあってもいいじゃないですか。
実際、私こういう画とか、シナリオの作品大好きですしね。
ただ、こうしてみていて思うのは。最後の最後。誰が生き残り、どんな結末になるのか。
それが今のところ全く予想できないということなんですよねー。
だって万次さん、楽勝っての一回もないんだもんw
後は今回に関していえば。この画がたまらなくイイっすね……。
対比というか。シンパシーというか。そういうのが静かに画面に満ちているのがいいっすよねぇ……。
以上、ロシアスキーでした! 次回もどうぞよろしくお願いいたします!
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コメント
おひけぇなすって、おひけぇなすって。
早速のおひけぇ、ありがとうござんす。
手前、生国は南極、狂気の山脈の出でござんす。
姓は無し、名をショゴスと申すもの。
世間では、てけり・り などと呼ばれておりやす。
お久しぶりです!。
いやー、簡略、いい加減な仁義を切って、袋叩きに合いそう。
でもまあ、時代劇と言う事で許してね。(^∇^)
近頃、無限の住人を観始めたもんでコメントしたくなっちゃいました。もしかすると、過去回の記事にもコメントしちゃうかも。
そうそう、それと、マガポケ(講談社のマンガ読書アプリ)のチケットで漫画の方が、ほぼ無料で読める様になりましたよ。
では、記事内容を、(あっ、まだ、漫画は読んでないです。)
>『永空はなぜ、老婆は斬っても子供を斬らなかったのか』
個人的な意見ですが、永空はタヒすべき時にタヒねない。
これが、子供を殺せない理由かな。なんか、ザックリしたこと言ってるけど。
老人がタヒんでもいいと言う訳では無いけど、永空から見たら、十分生きたタヒねることが出来る存在。と写ったかもしれない。
これね、皮肉なもんで、世界中の英雄が、不タヒを望むも絶対に叶わない。まあ、当たり前の事なんですが。
血仙蟲を植え付けられ二百年生きた永空にとって、不タヒ者になったのに英雄になれない(名を残せない)。彼は千人は切ったと豪語しているが、それ以下しか切っていないだろう宮本武蔵が歴史に名を残している。
そんな二百年分のストレスがトラウマになっているのかなぁ、と思っています。
まあ、簡単にいえばタヒねる事への妬みかな?と。(赤子はね、永空からみたら、生きる苦しみを、これから味わう存在。だから、コロさない。…どうかな?。)
>~チベット医学というものがありまして。
おおっ、そこに行きましたか!。たしかにチベットうんぬん言っていたので、信憑性があります。
その他にも日本にこんな話があります。
「撰集抄」の西行於高野奥造人事(西行高野の奥に於いて人を造る)
簡単に言うと、
ある時、高野にて西行とその友人二人で修行していたが、友人が「もう、都に帰る!。」と言い出し西行を残して、とっとと都に帰ってしまった。
一人になった西行は、寂しくて寂しくてたまらない。
そこで、昔聞いた「反魂の術」を使って、人、一人分の骨を集め甦らせてみた。しかし…、
人体錬成、宜しく、出来た物は人間であって人間では無い「何か?」であったそうな。(その後、出来上がったゾンビ?らしき物を処分せず放置する所はイイ根性してる。(怒))
この時使われたのが、さまざまな薬草と、「砒霜(ひそう)」と言う霊薬。
血仙蟲は薬。と言うのは、いい考察です!。
そうそう、ここだけの話ですが、高野山の奥の院の空海の即身仏。
今も、生きているらしいですよ……。
>『なぜ永空は万次に勝ちを譲ったのか』
>長すぎる生は、無数の別れと心の磨耗を引き起こす
>『この長すぎる生を終わらせて欲しい』
うん、正しく、その通りですね。異論は無い!。
もう一つ加えると、この物語、幕末動乱の直前だ。もし、幕末まで生きていたとしたら、不タヒの剣客として少しは名を残していたかもしれない……。(不遇の剣客よなぁ…。)
ふうっ、FGO SWⅡで忙しい(?????…)のに今季は私好みの作品が多すぎる!。これ視聴する予定なかったに見てしまった…。(ああ、新宿シャーロックも見なきゃ。)
でもいい!、楽しいから。w
と、言う訳で、
「あっしは、旅に出やす。また会える時がございやしょう。」
(長楊枝を咥えつつ、三度笠)
「あばよ!。」
度々すいません。てけり・りです。
ちょっと、訂正したいことがあって…。
>時代設定が幕末動乱直前、~。
これ、大きな間違いで、葛飾北斎の晩年ならいざ知らず、宗理を名乗ってたのが1795年から。
黒船来航が1853年。その差、半世紀以上!。
これでは、幕末動乱直前とは言えません!。
そう、宗理だけに………。
『アイム ソーリー!.』
ん、いや、まあ、その、ほ、本気で反省してますよ、本当に……。
「うっ、ううう、うわぁ~ん。」「ダッ、タッタッタッ…。」
背中を向け走り去っていく彼の姿は、どこか寂しげであった……。
続く…。(続きません!。)
(>_<)/~~
てけり・りさん
コメントありがとうございますー。
正直、無限の住人を考察したり語ったりする上で。
血仙蟲についてはどうしても外せないことなのですが。
薬だとして、なぜ蟲、という名を冠されているのか。
このあたりが気になりますね!
おー、原作読めるのはイイですねぇ。
全話放送終わったら見ようかしらw
忘れてなければw
永空だけではないんですが。
ホント、この作品の登場人物は様々な思いやしがらみを抱えておりますね。
だからこそ、見ていてハラハラもするし、共感したり同情したりしてしまうのですが。
そういう意味でも、今後も目が離せませんねぇ。
過去記事へのコメントも、ぜひぜひ!
そういうコメントが記事を書く原動力になりますので!
なお、個人的に幕末の定義はなんなら江戸後期からはもう幕末でいいんじゃね、と思っておりますw
いや、史実とかじゃなくって。雰囲気的なねw