こんばんは。眼鏡は顔の一部じゃない、全部だ! ライターの雨琴です。『シャドーハウス』を担当しております。
※コメント欄でのネタバレも厳禁でお願いします!
前回はシャドー家の新たな生き人形として着任した少女が、シャドー家のケイトのもとで働きはじめ、心を通わし、エミリコという名前をもらうまでのお話でした。
まだまだ謎が多く、童話のような世界観でありながら不穏な印象を拭えない本作であります。
今回は初めてエミリコが部屋の外に出て、他の生き人形やケイト以外のシャドー家の人と関わりを持ちます。
本記事ではケイトとの関わり。エミリコ自身との関わり。部屋の外の生き人形やシャドー家の人々との関わりを順にふり返っていこうと思います。
なぜケイトはあのぬいぐるみを大切にしていたのか
冒頭からケイトのモノローグとして、触れたものを汚してしまうことへの屈託が語られています。
やはりシャドー家の”すす”は好ましい力ではないようです。
前回からエミリコは掃除中に花瓶などを倒したり壊したりすることは多かったですが、今回も不注意によりぬいぐるみを濡らしてしまいます。
ケイトにとって大切なぬいぐるみだったようですが、他のインテリアと顕著に異なる点を発見しました。
他にもケイトの部屋には人形がありますが、いずれもシャドー家の人物のようなすすをまとった姿ではありません。
むしろ生き人形たちのような一般的な人の姿を象った人形です。
一方今回のぬいぐるみだけが、シャドー家の人物のように顔のない、真っ黒な人物を象っています。
想像するに他の人形は外部で製造されている既製品で、あのぬいぐるみはシャドー家の人物か生き人形によって内部で製作されたハンドメイドの一点物ではないでしょうか。
ケイトにとって思い出深い身内や縁者が作ってくれたものなのかもしれません。
字も読めないエミリコが難なく裁縫をできたことも考慮すると、生き人形の中にはそうした家事能力の高いものが他にもいそうです。
外部で作られた既製品をどのようにシャドー家の人々が買いつけているのか。外の世界に出ることはあるのか。
この辺りも今後の描写に注目していきたいです。
なぜ生き人形は余計なことを考えてはいけないのか
エミリコの一日を見ていると、朝に粗末な食事を与えられ、整容し。一日掃除をして、すすとりの間でクリーニングされ眠りにつくといった流れのようです。
食事がパンのみで一度だけらしいことも驚きですが、すすとりの間で体を清めるにしても、扱いが雑です。
生き人形と言うだけあってまさに物扱いと言わざるを得ない。
ただのメイドでなく、シャドー家の人の顔の代わりとして振る舞うことが求められるにしては、そんな扱いで良いのか疑問であります。
顔の代わり扱いをするならば、もっと美容と健康に良い食事をして、きちんと入浴をした方が「お役に立つ」ような気がします。
生き人形同士関わることでエミリコの置かれている境遇もわかることが増えてきました。
全貌を把握できないほど生き人形はたくさんいて、それでも終わらないほど掃除ははてしなく続く。
「すすが積もればまた拭ける」「余計なことは考えない」と歌っていました。
生き人形たちは「幸せ」「恵まれている」と口々に言います。
役割がはっきりとあって、余計なことを考える暇がないほどそれに取り組める。日々のやり甲斐もあるなら確かに幸せかもしれません。
けれどそこに一抹の危うさを感じてしまうのは、それこそ当たり前に読み書きを教わり、自分の頭で考えることを誉れとして、我々が教育を受けているからですね。
「役に立たなければならない」と脅迫的とも言えるほど強く思っていることも危なっかしい。
生き人形に余計なことを考えられると都合が悪い何者かがいるんじゃないかと邪推してしまいます。
生き人形のお披露目とは
名前のわからないシャドー家の人のことを「おかげさま」と呼称するようです。字をあてるなら「お影様」でしょうか。
「お陰様」とのダブルミーニングであることと、エンディングテーマの歌詞にも出てくるのでキーワードになりそうですね。
エミリコとケイトはサラというおかげさまと生き人形のミアのペアに遭遇しました。
ミアはエミリコに対してやさしく振る舞っていたのに対して、サラの生き人形として振る舞う間はミア自身の人格を感じとることができません。
“シャドー家の顔の代わり”というのはこれほど極端なものなのかと思い知らされましたね。
サラの言うお披露目というのはケイトが一人前になった証として、よく躾けた生き人形を従えて面通りするということでしょうか。
“偉大なるお祖父様”というのがシャドー家の当主として君臨しているようです。
”処分”という不穏当な言葉が出てくる辺り、ただ楽しいだけのメイド生活にはならない予感です。
ケイトの「顔は自分で選べない」という台詞や前回エミリコにかけた「あなたらしく」という言葉が気になります。
生き人形を顔の代わりとして躾ける側の台詞としてはそぐわない気がします。
シャドー家の慣習に対して、ケイト自身も何か含みがあるのかもしれないと考察します。
『シャドーハウス』2話感想
ケイトがエミリコに対し「生き人形だから大切なものがないのよ」と言ったとき。
「さっき掃除箱とすすコートをもらってたから、これがエミリコにとっての大切なものとして言及されるのだろう」と思ったらそんなことはありませんでした。
全貌はまだつかめないけれど、ちょっとずつ世界観が把握できて面白いですね。
生き人形の食事を配っている人物は何者なのかとか、細かいことも気になりつつ。
まずはミアの部屋にすすの手形がついていた件。シャドー家の人が生き人形の部屋に立ち入る理由も含めて気になります。
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